南アメリカの歴史

米英戦争(1812年戦争)でイギリスがアメリカに侵攻したのは何年?1814年のワシントン焼き討ちを解説

米英戦争(War of 1812、1812年〜1815年)において、イギリス軍がアメリカ合衆国本土へ本格的に侵攻したのは1814年です。特に象徴的な出来事が「ワシントン焼き討ち」で、1814年8月24日、イギリス軍は首都ワシントンD.C.を一時占領し、ホワイトハウスや議会議事堂などの政府建築物に放火しました。これはアメリカの歴史の中で、首都が外国軍に占領された唯一の例として知られています。

米英戦争とはどのような戦争か

米英戦争は、1812年6月にアメリカ合衆国がイギリスに対して宣戦布告したことで始まりました。開戦の主な背景には次のような要因があります。

  • イギリス海軍によるアメリカ商船への妨害と船員の強制徴用
  • アメリカ北西部におけるイギリスの先住民族支援
  • カナダ方面への領土拡大の動き

戦争は当初、カナダ国境沿いや海上での戦いが中心でしたが、1814年に大きな転換点を迎えます。

1814年:チェサピーク湾戦役とワシントン焼き討ち

1814年、ヨーロッパではナポレオン戦争が一段落し、イギリスは余剰兵力を北アメリカへ投入できるようになりました。同年8月、イギリス軍はチェサピーク湾から上陸し、8月24日のブラデンスバーグの戦いでアメリカ民兵部隊を撃破。そのままワシントンD.C.へ進軍し、ホワイトハウスや議会議事堂を含む公共建築物を焼き払いました。

その後の展開:ボルチモアとニューオーリンズ

ワシントン焼き討ちの直後、イギリス軍はボルチモア攻略を目指しましたが、マクヘンリー砦の粘り強い防衛の前に撤退を余儀なくされます。この戦いで弾幕の中に掲げられ続けた星条旗を目撃したフランシス・スコット・キーが詩を書き、それが後にアメリカ国歌「星条旗(The Star-Spangled Banner)」となりました。

さらに1815年1月にはニューオーリンズの戦いが勃発し、アンドリュー・ジャクソン率いるアメリカ軍がイギリス軍に圧勝。ジャクソンの名声は高まり、後に彼が第7代大統領となる足がかりとなりました。

戦争の終結と影響

講和条約となるゲント条約は1814年12月24日に調印されましたが、当時の通信事情により、ニューオーリンズの戦いは条約調印後に発生しています。1815年2月に条約が批准され、戦争は正式に終結。領土はほぼ開戦前の状態へ戻りましたが、アメリカの国家意識の高揚や、イギリスとの恒久的な平和関係の確立といった重要な意味を持つ戦争となりました。

まとめ

米英戦争中にイギリスがアメリカ本土へ侵攻したのは1814年です。同年8月のワシントン焼き討ちは、アメリカ史上まれに見る屈辱的な出来事である一方、国民の団結と国歌誕生のきっかけともなった、歴史的に重要な転換点といえます。