ヨーロッパの歴史

ブロッケン鉄道、運行再開から30年――ハルツ山地を駆け上がる蒸気機関車の物語

120年以上前、ハルツ山地のブロッケン山には狭軌鉄道が走っていました。しかし1961年に壁が建設されると、その運行は途絶えます。列車が再び走り出したのは、1991年9月15日のことでした。

大胆な計画――北ドイツ最高峰への鉄道

その計画は、当時の基準で見ても非常に大胆なものでした。標高1,100メートルを超える北ドイツ最高峰ブロッケン山へ、鉄道路線を通そうというのです。背景にあったのは、おそらく何世紀にもわたり険しい地形の中で鉱山業を営むために必要とされてきた「ハルツの開拓精神」でしょう。実際、19世紀末には3つの会社が設立され、ハルツ山地の南部と東部へ鉄道網が広がっていきました。

その中でも「王道」と呼ぶべき路線が、ブロッケン山へ向かう区間でした。標高540メートルのドライ・アネンホーネ駅から、シアーケを経由して山頂までの19キロメートルです。そして1899年3月27日、ついに路線が開業しました。それからおよそ100年後の1991年9月15日、再統一されたドイツにおいて、30年ぶりとなる最初の旅客列車が白い蒸気を上げながらブロッケン山頂へと向かったのです。

観光客と資源を運んだ列車

1899年当時、ブロッケン鉄道がこれほど波乱に満ちた歴史をたどることになると、誰も想像していませんでした。この路線は伝説の山を日帰り旅行者たちに開いていくだけでなく、やがてドイツ分断の象徴ともなっていきます。

当初は予定どおり列車が走り、観光客をブロッケン山へ運ぶ一方、ハルツ山地からは木材や鉱物資源が輸送されていました。ところが第二次世界大戦で線路は損傷し、戦後はソ連軍政が交通を制限します。1949年にはブロッケン鉄道はドイツ国営鉄道(ライヒスバーン)へ引き継がれ、その後まもなく、旅客列車が再び山頂へ向かうようになりました。

壁の建設が止めた列車

1950年代半ば、東ドイツ国営鉄道は、幅わずか1メートルのハルツ山地の狭軌向けに新型蒸気機関車17両を購入しました。その多くは現在もハルツ狭軌鉄道(HSB)の車両として現役で、勾配のきついブロッケン路線でも活躍し続けています。

しかし1961年8月14日、最後の旅客列車が山へ上りました。ベルリンの壁の建設に伴い、ハルツ山地におけるドイツ国内の境界も一層厳重になったのです。ドライ・アネンホーネからシアーケへ移動するには通行許可証が必要となり、シアーケからブロッケンまでは貨物列車だけが走ることになりました。これらの列車は、立ち入り制限区域となった山頂に駐留する兵士たちへの物資輸送を担いました。そして1987年、列車の運行は完全に停止されます。

統一ドイツでの再スタート

再統一後、ブロッケン山の列車運行は復活します。1991年9月15日、2本の特別列車がシアーケから公式の初運行へと旅立ちました。

1990年の再統一を受けて、ハルツ山地の狭軌鉄道を保存し、ブロッケン鉄道を復活させる計画はすぐに具体化しました。1991年3月には、郡や市町村による「ハルツ狭軌鉄道保存のための自治体設立会社」が設立され、同年にハルツ狭軌鉄道株式会社(Harzer Schmalspurbahnen GmbH)へと移行します。以降は観光が主眼に据えられました。線路や施設は数百万規模の費用を投じて急ピッチで改修され、1991年9月15日、国営鉄道の管理のもと、盛大な祝祭とともにシアーケ―ブロッケン駅間の運行が始まりました。1992年7月からは、定められたダイヤに従って通年で列車が走っています。

勾配を緩めるため山肌を螺旋状にめぐるこの壮麗な路線は、今やハルツ山地最大級の観光名所となっています。毎年数十万人の乗客が、歯車も架線も必要としない蒸気列車に揺られながら、ドイツで最も高い場所にある駅へと運ばれていくのです。