リューベック=トラヴェミュンデ出身の漫画家「ブレーゼル」ことレトガー・フェルトマンは、代表作『ヴェルナー』コミックで一躍有名になった。しかし彼が築いた歴史は、紙の上だけにとどまらなかった。1988年、ハルテンホルムで最初の「ヴェルナーレース」が開催されたのだ。ブレーゼルのチューンアップしたホーレックスと、ライバル「ホルギ」のポルシェ911による伝説的な対決である。
1988年9月4日、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州の静かな町ハルテンホルムが、バイクファンたちの巡礼地と化した。ゼーゲベルク郡の飛行場で開かれたこの「ゴイレ・パーティー(ヤバいパーティー)」の成果物はこうだ。大量の音楽、スタントの数々、山ほどの「ベルクシュトフ(ビール)」、荒れ放題になった前庭、そして推定1,500立方メートルに及ぶゴミ。20万人もの来場者が、漫画家にして「ヴェルナー」の生みの親であるレトガー「ブレーゼル」フェルトマンの改造ホーレックスと、友人ホルガー「ホルギ」ヘンツェの赤い911ポルシェによる伝説のレースを囲み、クレイジーな「ヴェルナーパーティー」に熱狂したのである。
「ヴェルナー」イベントが残した爪痕
この一大スペクタクルは、飛行場に隣接するハーゼンモーア自治体にも痕跡と記憶を刻みつけた。それは今も、自治体のホームページ上で読み取ることができる。ただし、そこに宿る感情は当時の熱狂とは程遠い。「我々の村に対する群衆の襲撃だった」と、ホームページには記されている。
人波にのみ込まれたハルテンホルム
レースは主催者の予想をはるかに超える観客を引き寄せた。数週間にわたる入念な準備にもかかわらず、運営側は完全に手一杯だった。価格55マルクの前売り券は約10万枚が売れた。しかし、これほど多くのパーティー好きのファンが会場へ押し寄せるとは、誰も予想していなかったのだ。大群衆は交通混沌を引き起こした。ハルテンホルム周辺だけでなく、アウトバーン7号線や連邦道206号線でも深刻な渋滞が発生した。「ゼーゲベルク郡の道路でこれほどのカオスはかつてなかった」と、現場を取材した「ノーダーシュテッター・ツァイトゥング(NZ)」の編集者フランク・クニッターマイヤーは語る。
カオスと応急対応
来場者の流入は止まらなかった。ついに主催者は降参し、ゲートを開放して、チケットの有無にかかわらず全員をレース会場に入れた。テントは空きさえあればどこにでも設置された。飛行場と急遽借用した周辺の土地は、巨大なキャンプ場と化したのである。NZ編集者のクニッターマイヤーによれば、ほとんどのファンはまず飛行場の周囲に広がっていた。BAPやロジャー・チャップマンといったトップアクトがステージに登場して初めて、フェスティバルエリアは埋まり始めたという。
「ヴェルナー」:コミックからレースの世界へ
14冊のコミックと5本の「ヴェルナー」映画により、フェルトマンはドイツで最も人気のある漫画家となっている。
パーティーのきっかけとなったのは、1985年に刊行された「ヴェルナー」シリーズ第4巻だった。作中で主人公は、4基のエンジンを搭載した改造ホーレックスで「ホルギ」のポルシェ911に勝負を挑み、勝ってみせるという賭けに出る。この漫画の生みの親と、実在する親友「ホルギ」は、いつしかこの架空の賭けを現実にしてみようと決意したのだった。
1988年9月の最初の週末、ついにその時が来た。ホーレックスの自作マシン、通称「赤いポルシェキラー」が小屋から引っ張り出され、「ホルギ」は真っ赤なポルシェ911で600メートルのコースに並んだ。だが緊張の勝負はあっけなく終わった。「赤いポルシェキラー」はスタート直後の数メートルこそ先行したものの、結局911が大きく差をつけて先着したのだ。原因はブレーゼルのギアの切り間違い。「頭が真っ白になってしまった」と、彼は後にニュース誌「デア・シュピーゲル」で振り返っている。
目の届く限りのゴミの海
レースで幕を閉じた祭典が終わると、多くの住民は安堵のため息をついた。しかし、カオスの痕跡はそのまま残された。ファンたちは3日間で60万本のソーセージと45万リットルの「ベルクシュトフ(ビール)」を消費し、その後、自分たちのゴミをすべて置き去りにしていったのだ。「シュピーゲル」誌は、パーティー参加者が残した遺産について「プラスチックコップ、タイヤ、缶、青色ゴミ袋で敷き詰められた分厚い絨毯」と表現している。清掃作業には2週間を要した。当時のハルテンホルム市長クルト・ベーゲ(CDU)は「NZ」のインタビューで率直な言葉を口にした。「主催者は逃げ出し、我々の村だけがひどい状態で取り残された」。これは文字通りに受け取るべき発言だった。設置された600基の移動トイレは、処理業者が近づけなくなり次々と溢れ返った。その結果、人々は思い思いの場所で用を足すありさまであった。
ゴミの山に加え、小さな町には破壊の跡も深く刻まれていた。焼かれた車や、解体された木製フェンス。夜の寒さしのぎに、フェンスの板が焚き火として燃やされたのだ。それでも救いだったのは、「ブレーゼル」とその運営チームが損害の大部分を弁済したことである。