ドーズ案(Dawes Plan)とは
ドーズ案は、第一次世界大戦後にドイツが負った戦争賠償金の支払いを可能にするため、1924年に合意された国際的な経済計画です。この計画では、アメリカをはじめとする外国銀行からドイツへの融資が手配され、その資金によってドイツが賠償金を支払えるように仕組まれていました。
計画名は、立案委員会の議長を務めたアメリカの銀行家チャールズ・G・ドーズ(Charles G. Dawes)にちなんで付けられています。ドーズはこの功績により1925年度のノーベル平和賞を受賞し、後に第30代アメリカ合衆国副大統領にも就任しました。
計画の背景:賠償問題とハイパーインフレ
第一次世界大戦後、ヴェルサイユ条約によって莫大な賠償金の支払い義務を課されたドイツは、深刻な経済危機に見舞われていました。1923年にはルール地方の占領などをきっかけにハイパーインフレーションが発生し、マルクの価値はほぼ無価値となりました。このような状況では賠償金の支払いは不可能であり、国際社会は新たな解決策を模索することになったのです。
ドーズ案の主な内容
ドーズ案が直面した最大の課題は、「ドイツを破産させずに賠償金を支払わせるにはどうすればよいか」という点でした。この問題を解決するため、以下のような仕組みが導入されました。
- 段階的な賠償額の設定: ドイツは最初の5年間、年間10億ゴールドマルク(約2億5000万ドル)を支払い、その後は経済状況に応じて支払額を徐々に引き上げていくことになりました。
- 国際融資の導入: アメリカおよびその他の外国銀行からドイツへ融資が行われ、経済再建と賠償金支払いの原資として活用されました。
- 通貨・財政の安定: 通貨改革や財政再建策と併せて実施され、インフレーションの収束が図られました。
成果と限界
ドーズ案は、ドイツ経済の安定化と賠償金の継続的な支払いという点で一定の成功を収めました。ドイツ経済は回復基調に転じ、国際社会への復帰も進んでいきます。
しかしこの計画には根本的な弱点がありました。それは、アメリカからの借入金で賠償金を支払うという「循環的な資金構造」であり、ドイツの長期的な戦争債務の問題を解決するものではなかったのです。
結局、1929年の世界恐慌によってアメリカからの融資が途絶えると、ドイツ経済は再び危機に陥り、1932年にはついに賠償金の支払いを停止(デフォルト)しました。ドーズ案自体は1929年にヤング案へと改定されましたが、賠償問題そのものの抜本的な解決には至らなかったのです。