ヨーロッパの歴史

旧エルベトンネル:ハンブルクが誇る驚異の土木遺産

ヨーロッパ初の河川トンネルであり、当時大きな技術的センセーションを巻き起こしたのが、ハンブルクのザンクト・パウリ・エルベトンネルです。1911年9月7日に供用開始され、2003年以降は「土木工学のランドマーク」として文化財に指定されています。

文:カトリン・ヴェーバー

巨大なドーム屋根、柱と切妻を備えた3つの荘厳な石造ポータル。一見すると、ハンブルクのザンクト・パウリ・ラントゥングスブリュッケンにある円形建築は、古代の建造物を思わせます。しかし、エルベ川沿いに佇むこの建物は神殿でも教会でもありません。ここからは、工学の傑作である旧エルベトンネルへとアクセスできます。それぞれ132段ある階段2基、車両用の油圧式ゴンドラ4基、小型の乗客用エレベーター2基が、24メートル下へと人々を運びます。その先には、明るい色のタイルで覆われた2本のトンネルの入口があります。トンネルは水面下426.5メートルを貫き、エルベ川南岸のシュタインヴェルダーへと至ります。

ヨーロッパ初の河川トンネルの誕生

1911年9月7日に開通したザンクト・パウリ・エルベトンネルは、ヨーロッパ大陸初の水中トンネルであり、まさに技術的センセーションでした。4年間にわたり、4,400人の作業員がエルベ川の下の湿った泥の中を少しずつ掘り進み、過酷な条件のもとで直径6メートルのトンネルを2本完成させました。当時最先端であり、現在でも使われているシールド工法が採用されました。作業員たちは大型の油圧駆動シールドの前方でスコップを使って砂や土を取り除き、掘削後のトンネルは「セグメント」と呼ばれる鋼材で支えられました。これは鋼製部材をリング状に組み立て、リベットで固定し、防水処理を施して漆喰塗りするものです。

高気圧環境下での危険な作業

トンネル建設現場への出入りの際、作業員たちは圧力室で待機しなければなりませんでした。

水の浸入を防ぐため、作業は高気圧(過圧)環境で行われ、従事した作業員や技師たちは深刻な健康リスクにさらされました。出入り時に周囲の圧力へ順応させるための気閘(圧力ロック)はすでに導入されていましたが、それでも約700人が軽度から重度の減圧症(潜水病)の症状を訴え、3名が亡くなりました。1909年に作業員の健康管理のために任命されたボルンシュタイン夫妻の尽力をもってしても、これを防ぐことはできませんでした。当時の医学は、高気圧医学に関する経験がまだ乏しかったのです。

ハンブルク市にとって重要な新たな交通路

トンネルは港湾労働者の通勤手段として重要であり、こちらの1930年の写真のように、交代勤務の時間帯には大いに利用されました。

開通後、最盛期には年間最大1,900万人がトンネルを利用しました。多くの港湾労働者にとって、市街地からエルベ川対岸の港や造船所の職場まで、迅速かつ無料で移動できる手段だったのです。実は1870年代には早くも、霧や氷のため運休を余儀なくされることも多く、輸送能力の限界に達していたフェリーに代わる案が市当局によって検討されていました。上院は運搬橋と高架橋の両方を検討しましたが、いずれも費用の面で却下し、1902年にトンネル建設を決定しました。モデルとなったのは、スコットランド・グラスゴーのクライドトンネルです。1895年に開通したこのトンネルも市街と港湾地区を結んでおり、両側に6基ずつのエレベーターを備えていました。

1907年:トンネル工事が着工

工事は1907年7月22日に始まりました。まず、シュタインヴェルダーとザンクト・パウリのトンネル坑口に2棟の立坑棟が建設され、後から荷車や自転車用の貨物エレベーター4基、乗客用エレベーター2基、そして階段が設置されました。エレベーターを稼働させるための発電所がシュタインヴェルダーに建てられ、3基のディーゼル発電機が必要な電力を供給しました。

技術的にも建築的にも卓越した存在

小さな彫刻に表れた建築家とその作品:ザンクト・パウリの立坑棟にあるオットー・ヴェーレッケの彫像。

エルベトンネルの特筆すべき点は、その背後にある技術的成果だけでなく、この種の構造物としては異例なほど美しく精緻な建築にもあります。隣接するラントゥングスブリュッケンも手掛けた建築家オットー・ヴェーレッケは、ザンクト・パウリの立坑棟において、ドーム屋根、大きな窓、壁面の彫刻、そしてエレベーターゴンドラを備えた開放的な鉄骨構造を持つ、荘厳な歴史主義様式の凝灰岩造りの建物を生み出しました。魚などの水生動物を描いたレリーフが、明るい色のタイルで仕上げられたトンネル内壁を飾っています。このような工学の誇示は、まったくの偶然ではありませんでした。「土木工学の魅力を意識的に伝えることが狙いでした。主任技師オットー・ストックハウゼンは、技術的建造物と美をひとつの建物に融合させようとしたのです」と、ハンブルクの作家スヴェン・バルドゥアは語ります。

シュタインヴェルダーの立坑棟は、もともとザンクト・パウリのものとまったく同じ外観でした。ただし、ファサードは周辺の景観に合わせて赤レンガ造りとされ、壁面の彫像は技師ではなく労働者たちが描かれていた点が異なります。第二次世界大戦で破壊された後、1952年に純粋に機能性を重視した建物として再建されましたが、ドーム屋根と彫刻は復元されていません。

「土木工学のランドマーク」として受賞

コレクター垂涎の一品:記念硬貨をデザインしたのは芸術家ヘルヴィヒ・オットーです。

旧エルベトンネルは2003年から文化財に指定されており、2011年の開通100周年にはさらなる栄誉が加わりました。連邦技術者会議所が「ドイツの歴史的土木遺産」の称号を授与したのです。連邦政府もこの記念碑を称え、銀貨の10ユーロ記念硬貨を発行しました。硬貨の図柄には、エレベーターを備えた立坑棟、断面図で描かれた2本のトンネル、そしてその上を行き交う船のあるエルベ川が表現されています。

新エルベトンネルの登場で交通的重要性は低下

旧エルベトンネルは今や、ハンブルクの都市景観に欠かせない存在となっています。ハンブルクの歴史の証人であり、人気の観光スポットでありながら、市内でエルベ川を横断する実用的な交通路でもあります。しかし、1970年代に造船業界が危機に陥り、新しいエルベトンネルが建設されて以降、交通インフラとしての重要性は大きく低下しました。かつては自動車がトンネルを走っていましたが、現在利用しているのは自転車利用者、歩行者、観光客のみで、2019年の利用者数は合計約200万人でした。とはいえ、この状況は経済的に成り立たず、旧式の設備の維持には非常に多くの人手を要します。

難題の多い大規模改修工事

継続的な修繕にも多額の費用がかかります。旧エルベトンネルでは1995年以降、大規模な修復工事が行われてきました。両側の立坑棟は内外ともに完全に修復されました。ザンクト・パウリ側のドームには新しい銅板が葺かれ、長年覆われていた窓も原形どおりに復元されました。建物は外観こそ往年の輝きを取り戻したものの、トンネル本体の改修では深刻な技術的問題が発生しました。そのため、当初の計画よりはるかに時間がかかり、費用も大幅に膨らんでいます。東側トンネルの更新は2019年春に完了しました。現在は西側トンネルの工事が進められており、通行は止められています。再開通は2026年の予定です。

旧エルベトンネル:基本データ

着工:1907年7月22日
開通:1911年9月7日
全長:426.5メートル
深さ(路面):23.5メートル
トンネル直径:5.92メートル
車道幅:1.82メートル(1928年以降:1.92メートル)
エレベーター数:12基
工法:シールド工法
構想:上級建築顧問官 ルートヴィヒ・ヴェンデムート
建築家:オットー・ヴェーレッケ
施工:フィリップ・ホルツマン社
利用案内:歩行者と自転車利用者は24時間無料でトンネルを利用できます。現在改修工事中のため、利用できるのは片方のトンネルのみです。自動車とオートバイは当面の間、通行できません。

今もなお人々を魅了する旧エルベトンネル

長期に及ぶ改修工事の影響にかかわらず、トンネルの魅力は色あせることがありません。132段の階段を降りるのもよし、縦に開く木製の扉を備えた貨物エレベーターに乗るのもよし、その芸術的で巧みなシステムに、今なお誰もが驚嘆します。「内外に施された装飾と、スロープ(傾斜路)を一切使わない独自の構造――それは今日でも人々を魅了してやみません」とスヴェン・バルドゥアは語ります。旧エルベトンネルは、この原理で機能し、現在も交通路として使われている世界で唯一のトンネルです。その原型となったグラスゴーのトンネルは、1980年に完全に閉鎖されました。