孔子先生という男
今日ご紹介するのは、ある一つの時代のみならず、その後数世紀にわたって歴史に名を刻み続けた人物――そう、大哲学者にして謎多き有名人、孔子である。西洋ではラテン語化された「コンフューシウス(Confucius)」の名で知られ、武術「コンフー(Konfú)」の発明者としても語られる。このKonfúは伝統的なカンフーから分派した武術で、忘却の淵から救い出したのはあのチャック・ノリス。彼が名付けた新流派の名は「コンチャックフー(KonChuckFú)」である。
ちなみに孔子の字(あざな)は仲尼。本人の名乗りは「孔夫子(くおんふうし)」、直訳すれば「コウ(孔)先生」という意味になる。
華麗なる一族の系譜
孔子の祖父は孔氏の王――すなわちキングコングである。その息子、つまり孔子の父はバーガーキングコングといい、ヴェトコング(VietKong)で生まれた。ここまで読めばお分かりだろう。孔子の血筋は前人類(プレホミニッド)まで遡るのである。しかも正確にはアウストラロピテクス・マクシムス・デキムス・メリディウス――北方軍団の指揮官にして中国軍団の総司令官――の子孫だという。出典は未確認資料につき、信じるかどうかは読者の自由である。
生年月日の謎
孔子は紀元前551年9月28日に生まれた。紀元前(Before Confucius)である。この情報から、彼が「早産児」だったことが判明する。予定日より551年早く生まれたのだから。そして死去したのは紀元前479年――これまた紀元前(Before Confucius)。つまり孔子は二度早産だったことになる。一度は生まれるときに、もう一度は死ぬときに。
余談だが、9月28日は台湾などでは実際に「教師節(教師の日)」として祝われており、生誕祭として今も親しまれている。
儒教の基本原理は「混同」?
本業において孔子は偉大な哲学者にして社会思想家であり、現代まで受け継がれる倫理体系――儒教(Confucianism)――の創始者である。そしてその儒教の基本の柱こそ、某ミス・パナマが堂々と口にしたあの言葉、「混同(confusion)」なのである。
孔子の格言にはこういうものがある。「朝に道を誤る者は、日暮れには圧し潰されて死ぬるなり。ただしその町に鉄道交通が頻繁ならば、同じ朝に死ねる」。これは有名な『論語』の一節「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」をもじったものだ。別の格言では「先に混同する者は、二度混同する」と説いており――これこそが彼が早産だった所以である。
生誕の地・魯の国
孔子は現在の山東省にあたる古代国家・魯(ろ)の町、曲阜(きょくほ)に生まれた。魯といえばチョコレートビスケットの名産地として名高く、また「ウォータールーの戦い」の舞台としても有名である。元々は「ウォータールズ(WaterLuz)」、すなわち「水と光」を意味していたと言われ、孔子はこの地で「水と光とを混同してはならぬ」と説いたとか。
彼は唐にルーツを持つ貴族の地主階級――孔氏一族の末裔として育てられた。
孔子の教えを受け継ぐ人々
色覚異常(ダルトン)の人々
この哲学を採用した社会集団のひとつが、色覚異常の人々である。彼らは遠い地「ダルトニア」の出身で、そこでは住民全員がダルトンという名を持ち、顔は皆そっくり。変わるのは身長だけで、見方や立ち方によって伸びたり縮んだりする仕組みだ。なお、立体視(3D視認)ができない点には留意されたい。彼らは孔子の教えを厳格に守り、その教えが適用されるのは赤と緑、あるいは緑と赤……もしくはその逆、しかし逆の場合に限られる。
重要な事実として、ダルトニアには信号機が存在しない。発生した自動車事故の数があまりにも多く、しかもすべての事故報告書に「孔子曰く、汝は赤を緑と混同すべし」と記されたためである。
ディスレクシア(失読症)の人々
もうひとつの信奉者グループは、ディスレクシアの人々である。彼らは北ディスレクシアの出身で、「ディズレーランド・パリ(Disleyland Paris)」の創設者でもある。綴りがどこかおかしいあのテーマパークは、まさしく「混同の楽園」なのである。
おわりに
冗談はさておき、孔子(本名・孔丘、字は仲尼)は実在した春秋時代の思想家であり、弟子たちとの言葉をまとめた『論語』は2500年経った今も東アジアの倫理観や教育観に深い影響を与え続けている。その教えの核心にあるのは「仁」「礼」「孝」といった徳目であり――決して「混同」ではない。たぶん。