ヨーロッパの歴史

二千年もの間、誰も翻訳を試みなかったラテン語の詩――カトゥルス『カルメン16』の衝撃

ガイウス・ウァレリウス・カトゥルス(紀元前1世紀)は、共和政ローマ末期に活躍した詩人です。現存する作品は116篇の詩から成り、その内容は抒情詩や恋愛詩をはじめ、友人や論敵に宛てた詩、機知に富んだ即興詩、逸話譚、風刺詩など実に多彩です。

ところが、その中には二千年もの間、誰も翻訳を試みなかった一首が含まれていたのです。

二千年もの間、誰も翻訳を試みなかったラテン語の詩――カトゥルス『カルメン16』の衝撃

「カルメン16」――詩人への批判への切り返し

問題の詩は『カルメン16』(Carmen 16)です。11音節からなる韻律「ヘンデカシラボス」で書かれたこの作品は、フリウスとアウレリウスという二人の人物による批判への応答として作られました。彼らはカトゥルスの詩を「あまりに柔らかく、いかにも女々しい男の作りそうな詩だ」と評していたのです。

この詩はあまりに露骨な内容だったため、英語への翻訳が公刊されたのは20世紀に入ってからでした。さらに冒頭の一節「Pedicabo ego vos et irrumabo」は、後世の研究者によって「あらゆる言語で書かれた表現の中でも最も下品なものの一つ」とまで評されています。

ラテン語原文

Pedicabo ego vos et irrumabo,
Aureli pathice et cinaede Furi,
qui me ex versiculis meis putastis,
quod sunt molliculi, parum pudicum.
Nam castum esse decet pium poetam
ipsum, versiculos nihil necesse est;
qui tum denique habent salem ac leporem,
si sunt molliculi ac parum pudici,
et quod pruriat incitare possunt,
non dico pueris, sed his pilosis
qui duros nequeunt movere lumbos.
Vos, quod milia multa basiorum
legistis, male me marem putatis?
Pedicabo ego vos et irrumabo.

冒頭二行――強烈な宣戦布告

冒頭の二行を大胆に意訳すると、およそ次のような意味になります。

「お前たちを犯してやり、口でも犯させてやろう。変態アウレリウスよ、男娼フリウスめ。」

相手への侮辱でいきなり切り返すという、極めて攻撃的な出だしです。

続きは意外にも理知的な反論

一方、それ以降の部分はトーンをやや落としつつも、詩論としての骨太な主張が展開されます。

私の詩が艶っぽいせいで、
お前たちは私を恥知らずだと決めつけた。
確かに信心深い詩人は、
その人自身は貞潔であらねばならぬ。
だが、その詩まで貞潔である必要はない。
詩とは結局のところ、
艶っぽく、恥知らずであってこそ、
滋味と魅力に満ちるのだ。
しかも体をむずがらせるほどの力を持つ――
少年たちの話ではない、
腰の動かなくなった毛むくじゃらの老人たちの話だ。
お前たちは、幾千もの接吻の詩を読んだからといって、
私を男らしくないと思うのか?
お前たちを犯してやり、口でも犯させてやろう。

「詩人」と「詩」を区別する芸術観

この詩の核心は、単なる罵倒ではありません。カトゥルスはここで、「詩人が貞潔であるべきこと」と「詩そのものが貞潔であるべきこと」は別問題だと主張しています。むしろ際どい題材を扱った詩こそが「塩味(salem)と魅力(leporem)」――辛口の機知と趣――を備える、というのが彼の芸術観でした。

また後半では、詩集の中で恋人レスビアとの「幾千もの接吻」を歌った自分を「男らしくない」と揶揄されたことにも触れ、その批判を突き返しています。

なぜ二千年も翻訳されなかったのか

カトゥルスの詩は中世の写本を通じて伝わり、ルネサンス期には人文主義者たちに愛読されました。しかし近代、特にヴィクトリア朝期のイギリスでは道徳的規範が厳しく、この種の露骨な表現を含む古典を翻訳して公刊することは事実上不可能でした。そのため『カルメン16』の完全な英訳が世に出たのは、ついに20世紀になってからです。

皮肉なことに、長く「読めなかった詩」とされたこの作品は、今日では文学史上きわめて有名な存在となり、詩人の芸術観を示す最重要テキストの一つとして研究されています。過激な内容の裏にあるのは、詩の自由を守ろうとする鋭利な批評精神なのです。