ラテンの格言に「De gustibus non est disputandum」(好みについて議論するなかれ、すなわち「好みは人それぞれ」)という言葉があるように、ある製品を「最高」と断定するのは難しく、リスクも伴います。ましてやその製品がワインで、しかも古代の話となればなおさらです。ペニンやロバート・パーカーのような現代の評価ガイドが存在しなかった時代のことですから、ここでは古典の記述を頼りに、あえてコマンダリアとファレルノを「古代最高のワイン」として挙げてみたいと思います。
世界最古のワイン「コマンダリア」
5,000年前に初めて造られ、今日まで生産が続けられているコマンダリアには、それ相応の理由があるはずです。ギネスブックによれば、これは世界最古のワインとされています。キプロス島のトロードス山脈の麓で収穫されたブドウから造られる、深い琥珀色の甘口デザートワインです。収穫後、ブドウは10日間天日干しにされて糖分の濃度を高め、その後オーク樽で熟成されます(かつての素焼き壺による熟成は廃れました)。熟成が進むにつれて粘性と甘みはいっそう増していきます。これほど長い歴史を持つワインですから、数々の歴史的出来事の証人であり、時に主役でもありました。

獅子心王リチャードの賛辞
1191年、キプロス島リマソールの聖ゲオルギオス礼拝堂で行われた、イングランド王リチャード1世(獅子心王)とナバラのベレンガリアの結婚式。この披露宴で振る舞われたのがコマンダリアでした。イングランド王はこう言い残し、その評価に迷いを残しませんでした。
それは王のためのワインにして、ワインの中の王である。
ワインのために島を侵略したスルタン
15世紀末以降、キプロス島はヴェネツィア共和国の支配下に入り、地中海有数の商業拠点として栄えました。それから約1世紀後、オスマン帝国ではセリム2世が権力を握ります。彼は政治の手腕よりも、詩作、美食、そして何よりも美酒に関心を示した君主でした。コマンダリアへの執着はついに、供給を確保するため1570年にキプロスを侵略するという事態にまで至ったといいます。
キリスト教圏の反応は素早く、「神聖同盟」が結成され、レパントの海戦でオスマン帝国と対峙しました。ドン・フアン・デ・アウストリア率いる同盟軍は勝利を収めたものの、キプロスはその後3世紀にわたりオスマン帝国の統治下に置かれることになります。
ワインのために島を侵略したなどと軽薄に思われるかもしれませんが、実はセリム2世は歴史上「酔いどれ」の異名で知られる人物です。しかも彼はその生き方のまま最期を迎えました――泥酔のあまり転倒し、頭部を打って死亡したのです。そう考えると、ワイン目当ての侵略も決して不思議ではありません。
ローマのエリートだけが味わえた「ファレルノ」
では、ファレルノはどうでしょうか。生産量が少なく、さらに何年も熟成させてから飲むことが好まれたため、ファレルノは当時最も高価なワインであり、ごく一部の特権階級だけが口にできるものでした。ポンペイから出土した落書きには、次のように刻まれていました。
1アスならワインが飲める。
2アスなら上等なワインが飲める。
4アスあればファレルノが飲める。
ナポリ南方のカンパニア地方、ファレルノ山(マッシコ山とも呼ばれる)周辺の狭い土地で育ったブドウから造られたのは、甘くアルコール度数の高い白ワインで、素焼きのアンフォラ(双耳壺)の中で数十年もの長期熟成を経て飲まれました。
今日これ以上のワインはない。[中略] 三つの種類が区別される。丘の頂に育つファレルノ・カウキヌム、中腹のファレルノ・ファウスティアヌム、そして麓のファレルノである。(大プリニウス『博物誌』)
なぜ遅いのだ、少年よ。不死のファレルノを注ぐのに。(マルティアリス『エピグラム集』)
ワインにもいろいろあるが、ファレルノのように、年月を経るほどに取り出したときの価値が高まるものもある。[中略] 我々の必要を満たす優れた産物はイタリアにそろっている。カンパニアの小麦粉に何を比べようか。アプリアの小麦に何を。ファレルノのワインに何を。タレントゥムの蜂蜜に何を。ウェナフロの油に何を。(ウァロ『農業論』)

史上最高のヴィンテージ「オピミアヌム」
このワインには、史上最高のヴィンテージとされる「ファレルノ・オピミアヌム」に関する記録さえ残っています。紀元前121年のローマ執政官オピミウスにちなんだ名前です。ユリウス・カエサルはヒスパニアでの凱旋を祝う宴で、このヴィンテージのファレルノ(すでに60年物)を振る舞ったと言われ、皇帝カリグーラは160年物(!?)のファレルノで宴を楽しんだとも伝えられています。
しかし西暦79年8月、ヴェスヴィオ火山の噴火により、ブドウ畑の大部分が失われました。再植樹の試みはなされたものの、以後の生産量はごくわずかとなり、ほとんど信仰の対象、あるいは収集品のような存在になっていきます。301年のディオクレティアヌス勅令では、ファレルノ1セクスタリウス(約0.5リットル)の価格が30デナリウスと定められました。他のワインが8〜16デナリウスだったことを考えれば、その格の高さがわかります。
名医ガレノスが選んだ「世界一のワイン」
このワインの卓越さを締めくくるのが、歴代皇帝の侍医であり、その処方箋が何世紀にもわたって流行を先導したガレノスの話です。この医師の看板商品は「ガレノスのテリアカ」――数十種類の材料からなる調合薬で、毒への解毒剤として、また多くの病気を治す薬として用いられました。さらに彼は、この奇跡の薬に合わせてワインを飲むことを勧め、ワイン自体にも薬効があると考えていました。
皇帝マルクス・アウレリウスの侍医であった彼は、世界最高のワインを探し求めることにします。
世界中のあらゆる場所から最良のものが集まってくる以上、卓越したものの中から、その中でも最も偉大な者にふさわしい最良のものを選ばねばならない。そこで私は職務を果たすべく、すべてのファレルノのアンフォラに記されたヴィンテージを読み解き、20年以上経ったものをすべて自分の舌で確かめた。苦みの気配のないワインを見つけるまで続けたのだ。甘みを失っていない古酒こそ、すべての中で最良のものである。
そのワインのヴィンテージが何年のものであったかはわかりません。しかし、それが……ファレルノであったことは間違いありません。
初出:Vivanco