ヨーロッパの歴史

黒死病時代のPPE:「ペスト医師」の装備とその理由

新型コロナのパンデミックは、防護服(PPE=個人用保護具)を身にまとった医療従事者の姿という、忘れがたいイメージを私たちに残しました。実は、中世ヨーロッパを襲った「黒死病」の時代にも、それに相当する象徴的な姿がありました。それが、あの有名な「ペスト医師」です。

都市が雇ったペスト医師たち

ペスト医師は、貧富を問わず地域の患者を治療するために各都市が雇い、報酬を支払った医師です。彼らの仕事は多岐にわたり、ペストに対する「防御薬」や解毒剤とされるものを処方するだけでなく、遺言状の作成や検死(解剖)まで担いました。

彼らの装備は一風変わっていました。分厚い蝋引き布で作られたチュニック、患者に直接触れずに診察するための木製の杖、長いくちばしのついた鳥の面。この面の中にはさまざまな芳香性のハーブや藁が詰め込まれ、さらに黒い眼鏡も着用していたのです。

黒死病時代のPPE:「ペスト医師」の装備とその理由

すべてには理由があった――「瘴気」という発想

B級ホラー映画から抜け出してきたような奇抜な姿に見えますが、この装備の一つひとつには、当時の医学的根拠がありました。当時の医学では、ペストは腐敗した有機物から立ちのぼる「瘴気(ミアズマ)」によって空気が汚染され、その汚染された空気が呼吸や皮膚への接触を通じて人体に伝わることで起きると考えられていたのです。

この考え方に立てば、装備の意味は腑に落ちます。感染を防ぐために全身を覆うこと。患者の呼気を避けるための長いくちばし。藁で「悪い空気」をろ過し、心地よい香りを吸い込むこと。それはまさに、死の匂いが立ちこめる街を歩き回るための、当時の人々の精一杯の知恵だったのです。

医師たちは感染を恐れて患者のもとへ赴こうとせず、仮に訪れてもその手当てはほとんど効果がなく、何の得にもなりませんでした。死者は家の扉の前にさらされ、時には葬る者もいないまま窓から投げ出されることさえありました。墓掘り人たちは真っ先に命を落としたのです。そして、友情のためであれ金のためであれ、死人を葬ってくれる者は見つかりませんでした。病人は誰にも看取られずに死に、死者は何日も放置されました。父は息子を、妻は夫を、兄弟は兄弟を見捨てました。この病気は息遣いや視線によってもうつるように思われたからです。こうして人々は死んでいきました。慈悲は死に絶え、希望は失われたのです。

目を守る黒い眼鏡のワケ

視界を覆う黒い眼鏡も、決して無駄な飾りではありませんでした。当時は、こんな恐ろしい言い伝えまで存在していたのです。

この疫病の毒性が最も強く、ほぼ即死に至る瞬間は、病人の目から放たれる霊気が、至近距離で自分を見つめる健康な人の目に届くときである。特に病人が死の淵にあるとき、その器官の毒が一方から他方へと移り、健康な者を殺してしまうのだ。

現代の科学からすれば誤りだった彼らの理論も、目に見えない脅威から身を守ろうとする人類の営みとしては、今を生きる私たちと驚くほど重なります。数百年後、未来の人々は、今日の私たちの防護服の姿をどのように記憶するのでしょうか。