
紀元前100年頃
ユリウス・カエサルの誕生
ガイウス・ユリウス・カエサルは、裕福で由緒あるローマの名家に生まれました。若くして政界に足を踏み入れ、民衆の支持を基盤として着実にキャリアを築き上げていきます。
紀元前60年
ポンペイウス、クラッススとの同盟 ― 第一回三頭政治
元老院が分裂し、内乱の気配が漂う中、ユリウス・カエサルは名将ポンペイウスと、自身の政治活動を資金面で支えた大富豪クラッススと密かに手を結びます。3人はローマの権力を分割して握りました。これが歴史上初の三頭政治(トリウムウィラートゥス)です。しかし、やがてこの同盟の内部に亀裂が生じていくことになります。
紀元前58年〜51年
ガリア征服戦争の開始
カエサルは、ケルト人(ガリアの住民)が暮らすガリア地方の征服に乗り出します。ケルト人たちは立ち上がり、勇敢に抵抗を続けました。
紀元前52年
アレシアの戦いでガリアを制圧
ウェルキンゲトリクス率いるガリア軍を打ち破り、カエサルの勝利は完全なものとなります。この征服によって、ローマは新たな領土を獲得するだけでなく、約100万人のガリア人を奴隷として手に入れたと言われています。
紀元前49年
ルビコン川渡河 ― ローマ掌握へ
カエサルは自らの軍団を率い、ガリア・キサルピナとイタリアの境界線であるルビコン川を渡り、ローマへ進軍しました。有名な「賽は投げられた」はこの瞬間を指す言葉です。ポンペイウスは元老院の一部とともにギリシャへ逃れますが、紀元前48年にカエサルに敗れ、その後エジプトで暗殺されました。こうしてユリウス・カエサルは次第にローマの絶対的な支配者となり、国内にある程度の平穏をもたらします。元老院から「終身独裁官」に選出され、あらゆる権力を一手に握りました。軍隊からの強い支持を背景に元老院を封じ込め、ローマにおける人気を盤石にするため、自らの栄光を称える巨大な記念建造物を次々と建設していきます。中でも、自ら「神聖なる母」と仰ぐ愛の女神ウェヌス(ヴィーナス)のために建立した大理石造りの神殿は有名です。本人は否定していたものの、ローマ人が何よりも嫌悪する王権への野心を密かに抱いていたとも言われています。
紀元前47年
アレクサンドリア包囲とクレオパトラの擁立
カエサルはエジプトのアレクサンドリアを包囲し、クレオパトラ7世を王座に就けます。彼女は後にカエサルとの間に息子カエサリオンをもうけました。
紀元前45年
この頃までに、地中海世界の大部分がローマの支配下に置かれることになりました。
紀元前44年
ユリウス・カエサル暗殺
カエサルがついには自ら王を名乗るのではないかと恐れた一部の元老院議員たちにより、彼は23か所を刺されて命を落としました。紀元前44年3月15日、いわゆる「イドゥス・マルティエ(三月十五日)」の出来事です。
オクタウィアヌスとマルクス・アントニウスによる帝国分割
カエサル暗殺後、その遺産を巡って2人の男が名乗りを上げます。遺言によって養子に迎えられていた大甥のオクタウィアヌスと、腹心の部将だったマルクス・アントニウスです。両者は当初、ローマ帝国を分割統治することで手を結びました。オクタウィアヌスは西方を、アントニウスは東方をそれぞれ手中に収めます。
紀元後43年
ローマ軍がブリテン島(現在のイングランド)へ侵攻しました。

紀元前31年
アクティウムの海戦 ― 二雄の最終決戦
オクタウィアヌスとアントニウスはついに決裂し、ギリシャ沖で行われたアクティウムの海戦で激突します。オクタウィアヌスは、アントニウスとエジプト女王クレオパトラの連合艦隊を見事に粉砕しました。
紀元前30年
マルクス・アントニウスはエジプトで自ら命を絶ち、女王クレオパトラもまた後を追うように自害しました。
こうしてエジプトはローマの属州となり、輝かしいプトレマイオス朝の歴史に幕が下ろされたのです。