
ローマ帝国第7代皇帝オト。彼は、ネロ帝の死後わずか1年の間に皇帝が次々と交代した「四皇帝の年」(西暦69年)において、2番目に帝位に就いた人物です。
長年にわたり皇帝ネロと親しく交わってきたオトでしたが、ある出来事をきっかけに両者の関係は決定的に悪化します。
ネロに妻を奪われる
実は、似たような話は初代皇帝アウグストゥスにもありました。アウグストゥスはリウィアという女性と結婚するため、その夫であるクラウディウス家の一員に離婚を持ちかけ、夫側もこれを受け入れたといわれています。
そしてネロもまた、美しい女性ポッパエア・サビナと結婚したいがために、同じような提案をオトに行ったのです。
オトはこれを拒むことはできませんでした。ネロはオトをルシタニア(現在のポルトガル)属州総督に任命し、その見返りとしてポッパエアを自分の妻としたのです。
ちなみに、このポッパエアとの結婚は、ネロの母アグリッピナを激怒させ、母親暗殺という悲劇の引き金となったとも伝えられています。
妻を奪われたオトでしたが、ルシタニア総督として善政を敷き、評判は上々。ネロへの反発が高まる中、むしろ民衆の人望を集めていくことになります。
やがてウィテリウスらが蜂起し、「ガルバこそが正統な皇帝だ」と宣言されると、オトはローマの最高意思決定機関である元老院とともに、ガルバの皇帝擁立を支持しました。
その結果、追い詰められたネロは自ら命を絶ちます。オトにとっては、ひとまず復讐が果たされた形となりました。
ガルバの裏切り、そして暗殺
ガルバの皇帝即位には、オトの支持が大きく貢献したといわれています。ところがガルバは、後継者としてオトではなくピソという人物を養子に迎えたのです。
これに怒ったオトは、ついにガルバとピソを暗殺し、自ら皇帝の座に就きます。
皇帝即位 ドナウ軍団VSライン軍団
しかし、ローマ最強と謳われたゲルマニア(ライン)軍団は、オトの即位に納得していませんでした。
ウィテリウス率いるライン軍団がローマへ進軍すると、オトはドナウ川流域の軍団を呼び寄せ、これに対抗します。
帝国防衛の要であるライン軍団と、ドナウ川流域の軍団が正面衝突。両軍は北イタリアで激突し、この戦いは後世「第一次ベドリアクムの戦い」として歴史に記されることとなります。
激戦の末、勝利したのは最強の名をほしいままにするライン軍団でした。
勝利後、ライン軍団はドナウ軍団を見下すような扱いをしたといわれ、これがのちの内戦激化につながっていきます。
敗北を悟ったオトは、自らの運命を受け入れ、自害して果てました。このとき彼は37歳。在位期間はわずか3か月でした。
オトという人物の評価
おそらくオトには内政の才能があったのでしょう。総督時代の評判は非常に良好でした。
しかし、戦争の経験は乏しく、しかも相手はローマ最強のライン軍団。あるいは、先帝を殺害したことへの因果応報だったのかもしれません。
スッラやカエサルのように劣勢を挽回することもできたかもしれませんが、オトは英雄ではなかったのです。
そんなオトに対して、歴史家タキトゥスはこう評価しています。
「オトについて評価すべきはその死である。彼が早く死んだおかげで、流される血の量は格段に減ったのだ」
ローマの混乱は、なおも続いていくのでした。