ヨーロッパの歴史

ヘレスの海戦:装甲巡洋艦アヴェロフ、単艦でトルコ艦隊を粉砕す

ヘレスの海戦:装甲巡洋艦アヴェロフ、単艦でトルコ艦隊を粉砕す

1912年12月1日、天候はようやく回復していた。ギリシャの駆逐艦群はダーダネルス海峡の入口で依然として警戒任務についており、トルコ艦隊の出撃を待ち構えていた。情報によれば、敵艦隊は避難先から動こうとしているという。

前哨戦――海峡前での睨み合い

12月1日、海峡前面で哨戒中だったギリシャ駆逐艦「スフェンドニ」「ロンキ」「ナウクラトゥーサ」は、海峡から出てくる敵駆逐艦一隻を発見した。直ちに「スフェンドニ」と「ロンキ」が全速力で迎撃に向かい、距離3キロから射撃を開始した。

このトルコ駆逐艦は結局逃走に成功し、海峡の安全圏へと退却していった。しかしそれからほどなくして、巡洋艦「メジディイェ」が姿を現したのである。

ギリシャ駆逐艦たちはただちにクントゥリオティス提督に信号を送り、敵巡洋艦との交戦へと急行した。「メジディイェ」は100発を超える砲弾を発射したが、そのどれ一つとして目標に命中しなかった。その間に、クントゥリオティスはムードロスに停泊していた艦隊に出撃命令を下していた。

提督は、この巡洋艦はついに外洋へ打って出るトルコ艦隊本隊の先触れに違いないと確信していた。だがトルコ側は再び彼の期待を裏切った。「メジディイェ」はギリシャ駆逐艦としばらく砲火を交わした後、ふたたび反転して海峡内へ引き込んでしまったのである。

欺瞞機動と徹夜の待機

とはいえギリシャ艦隊司令官は、これら一連の動きを、トルコ艦隊司令官がギリシャ側の反応を「探り見る」ために仕掛けた前哨行動であると正確に読み取っていた。各種の兆候は、敵艦隊の出撃が目前に迫っていることを示唆していた。

この判断に基づき、ギリシャ提督は12月1日から2日にかけての夜を通じて海峡の前に留まり、沿岸砲台からわずか6キロの距離で待機し続けた。翌日もまた、ギリシャ艦隊は同じ海域で哨戒を続けた。

日没が近づくと、クントゥリオティスは敵を欺くため、まず艦隊を南のレムノス島方面へ向けた。しかし闇が完全に降りると同時に艦隊は針路を変えてふたたび北上し、インブロス島の海岸沿いを航行していった。

1912年12月3日――決戦の夜明け

やがて暁の光が冬の暗闇を押し流していく。12月3日の夜明けである。ギリシャの艦船は、インブロス島とテネドス島の間の同じ単調な航路上を依然として往復していた。すると突然、半ば眠っていたギリシャ乗員たちが一斉に目を覚ました。口々に嬉しい知らせが伝わっていく。

「ダーダネルスから煙の柱だ。トルコ艦隊が出てくるぞ」。クントゥリオティス提督から最下級の水兵に至るまで、ギリシャ艦隊の全員を安堵と興奮が包み込んだ。

工場の生産ラインのように整然と、巡洋艦「メジディイェ」と駆逐艦3隻が海峡の出口へ向かって航行していた。まもなく彼らは外洋に出て南下を始めた。ところが今度は、海峡の狭部からさらに別の煙の柱が立ち上るのが見えた。続々と出口へ向かうトルコ戦艦群だった。

先頭を行くのは旗艦「バルバロス・ハイレッディン」であり、ラミズ・パシャ提督がこれに乗艦していた。その後ろには「トゥルグト・レイス」「メスーディイェ」「アサル・イ・テヴフィク」が縦列で続いていた。

「バルバロス」と「トゥルグト・レイス」は極めて強力な艦であった。それぞれ11インチ(280ミリ)砲6門を備え、理論上は単艦だけでギリシャ艦隊全体を沈める能力を持っていたのである。

提督の訓示と乗員の士気

午前9時、両艦隊は正面から対峙した。距離14キロ――当時の射撃技術では成功の見込みがほとんどない、まだ遠すぎる間合いである。「アヴェロフ」の艦橋からクントゥリオティスは敵の動きを観察していた。聖十字架の木片を首にかけた提督は、訓示の言葉を乗員たちに送った。

「神の加護と国王のご意志のもと、正義の名において、我は祖国の敵に対し、不屈の勢いと勝利への確信をもって進む。クントゥリオティス」

同時に提督は艦橋から「アヴェロフ」の水兵たちへと声を張り上げた。「時が来たぞ、諸君。1821年の勇士たちを思い起こせ。我らは異教徒どもを打ち砕くのだ。神は我らと共にある!」直後、提督は艦橋を降りると、艦付司祭ダフノス大司祭とともに艦内をくまなく回り、将兵たちを鼓舞して回ったのである。

開戦、そして歴史的な「Z」信号

午前9時22分、「バルバロス」の前部砲塔から二つの砲口炎が閃いた。他のトルコ戦艦もこれに倣って射撃を開始する。数瞬ののち、ギリシャ艦船も応戦した。トルコ側の射撃は絶え間なく、しかも特に濃密だったが、ことごとく狙いを外していた。対照的にギリシャ艦船の砲撃はゆっくりとしたペースだったが、はるかに正確であった。およそ10分間の砲火の応酬の後、トルコ戦艦の艦上に最初の火災が確認された。

両艦隊を隔てる距離は刻々と縮まっていく。クントゥリオティスは「アヴェロフ」の艦橋上、遮蔽物もないまま戦闘の指揮を取り続けた。将校たちは装甲された艦橋防護区画に入り、そこから指揮を執るよう懇願したが、提督は微動だにしなかった。

やがてクントゥリオティスは、「アヴェロフ」が隊形に留まり続けていては艦の真価を発揮できないことに気づき、この戦いの帰趨を決める歴史的決断を下した。

旧式戦艦からなる分艦隊の指揮を「スペツァイ」艦長ギニス大佐に委ねると、クントゥリオティスは有名な「Z」信号を旗艦のマストに掲げさせた。

これはすなわち、「アヴェロフ」が単独で機動することを宣言するものであった。「バルバ・ヨルゴス」(ヨルゴス爺さん)の愛称で親しまれた巨艦は、缶に次々と石炭が投入される轟音とともに咆哮し、速力20ノットで疾走を開始した。

クントゥリオティスの目的は、トルコ艦隊の縦列の前方に回り込み(いわゆる「T字戦法」)、残る3隻のギリシャ戦艦が側面から攻撃を加えるというものだった。

単艦による壮絶な追撃戦

午前9時55分、「アヴェロフ」はトルコ戦艦群の航行軸線に対してちょうど直角の位置に達した。その主砲は進んでくる「バルバロス」に絶え間なく砲弾を叩き込み、標的艦からは次々と火柱が噴き上がった。

しかし他のトルコ艦船もまた、ギリシャ戦艦群と偵察艦からの猛烈な弾幕を浴びていた。四方八方から攻撃を受けたトルコ艦隊司令官は、早急に海峡へ撤退しなければ、自艦隊の船体がエーゲ海の海底を飾ることになると悟った。

そこで彼は海峡方向への針路変更を命じた。だが激戦の中で発されたこの信号は誤解され、その結果トルコ艦隊は完全に統制を失ってしまった。

生じた大混乱を目の当たりにし、苛立ったラミズ提督は各艦に個別に海峡へ退避するよう命じた。トルコ艦隊の崩壊を見届けたクントゥリオティスは、無線で駆逐艦群に対して敵への攻撃を下令した。

ところが不運にも、「アヴェロフ」の無線アンテナは敵弾によって破壊されており、幸運にもトルコ側にとって、この信号はギリシャ駆逐艦には決して届かなかった。業を煮やした提督は、ついに「アヴェロフ」一艦のみでトルコ艦隊に立ち向かうことを決意した。トルコ人が「セイタン・パポル(悪魔の旗艦)」と恐れて呼んだその艦によって。

それは実に空前絶後の光景だった。たった一隻の艦が、艦隊全体を単身で追い詰めているのである。トルコの全艦船と沿岸砲台が「アヴェロフ」に向けて絶え間なく砲撃を浴びせた。しかし彼らの射撃は悲惨なまでに不正確で、幸運の「バルバ・ヨルゴス」は難なくこれをかわしていく。

わずか63分の決着と両軍の損害

「アヴェロフ」の猛追にもかかわらず、トルコ艦船群は炎に包まれながらもどうにか海峡内への退避に成功した。海戦はギリシャ艦隊の完全な勝利に終わった。所要時間はわずか63分であった。艦尾では軍楽隊が歓喜の演奏を響かせ、「アヴェロフ」はついに西へ針路を転じ、獲物を解放した。

この「ヘレス(エリ)海戦」において、ギリシャ艦隊が受けた損害は最小限だった。戦死者1名、負傷者8名である。不幸なことに、負傷者の一人マウリス海軍大尉は、軽傷の傷口の感染がもとで数日後に亡くなっている。

ギリシャ艦船で重大な損傷を被ったものは一隻もなかった。単独で戦闘の矢面に立った「アヴェロフ」でさえ、船首隔壁に軽微な損傷を受けただけであった。

一方のトルコ艦隊は甚大な損害と損失を被った。戦死者は100名を超え、負傷者もほぼ同等に上った。最も深刻な被害を受けたのは「バルバロス」であり、その他のトルコ戦艦にも軽微ながら損傷が及んだ。

アテネの祝賀とコンスタンティノープルの「奇妙な勝利宣言」

この海戦での艦隊の勝利は、ギリシャ全土で熱狂的に祝われた。ところが奇妙なことに、祝賀行事はコンスタンティノープルでも催されたのである。トルコの新聞各紙は、明らかに政府の意向を受けて、およそ考えられる限りの途方もない作り話の発表を競い合った。ある紙は読者に、海峡入口で「アヴェロフ」が撃沈されたと断言した。

別の紙は、海戦で深刻な損傷を負った「アヴェロフ」がピレウスから70海里の海上で沈没し、港へ曳航されたなどと、生き生きと描写してみせた。さらには、ギリシャ艦隊全体が無秩序な敗走と壊滅状態に陥ったことまで理由をつけて語ったのだ。何はともあれ、それは自分自身を納得させようとする必死の試み以外の何ものでもなかった。