1825年、内紛と指導層の無能さにより、ギリシャ独立戦争の情勢は一気に悲劇的な様相を呈していた。イブラヒム・パシャ率いるエジプト軍はペロポネソス半島に上陸し、メッシニアのクレンミディでギリシャ軍を打ち破り、パパフレサスも撃退。さらに数多くの城塞を攻略し、トリポリツァさえも手中に収めていた。
ココロトロニスをトランバラの戦いで破ったイブラヒムは、次なる目標をナフプリオに定めた。この都市が陥落すれば、ペロポネソスにおける革命は確実に潰え、ひいてはギリシャ全土の独立運動の存亡に関わりかねない重大事態であった。
マクリギアニスは自らの部隊とともにトリポリツァへ向かうよう命令を受けていたが、進軍の途中ですでに同市が陥落したことを知る。そこで彼は撤退し、ナフプリオ南西のミロスに陣を敷いて、街を守ることを決意した。
ミロスという土地
ミロスは古代レルナの近郊に位置する、わずか約30戸の小さな村であった。湿地帯に築かれたこの村の海岸には倉庫が並び、その背後に製粉所(ミル)があった。壁に囲まれた庭園と、トルコのアガ(領主)が残した石造りの塔も存在していた。
ドゥ・リニー提督との有名な対話
フランス海軍のドゥ・リニー提督(ギリシャ語読みではデリニー)にまつわる逸話と有名な詩は、ここで生まれた。ミロスに上陸した提督はギリシャ軍の陣地を見て、マクリギアニスの回想によればこう言ったという。
「これで何をするつもりだ? このような陣地では戦いにならない。こんな大軍(ブラーミ)相手に、どうやって戦うのか?」
マクリギアニスはこう答えた。
「陣地が絶望的なら、我々も絶望的です。しかし神が守ってくださるなら、我々は強い。この不可能な陣地で、我々の運命をお見せしましょう。敵の大軍に対して我々が少数なのは、むしろ心強いくらいです。ギリシャ人は昔から常に少数でしたから」
「その始まりも終わりも、昔から今に至るまで、あらゆる野獣が我々を喰らおうと戦ってきたが、果たせなかった。我々を喰らっても、酵母しか残らない。そして少数の者が死を覚悟したとき、負けることは少なく、勝つことは多い。今日ここにある我々の陣地もまた然り。我々の運命は、弱者にも強者にも示されるだろう」
「トレビエン(それなら結構)」と言って、提督は去っていった。
480名の守備隊
マクリギアニスは、コンスタンティノス・マヴロミハリス、ディミトリオス・イプシランティス、ハツィミハリス・ダリアニスとともに、合計480名の兵を率いていた。イプシランティスは村の右翼に布陣し、マクリギアニスは中央、マヴロミハリスとハツィミハリスは村の南側を担当した。特筆すべきは、マクリギアニスが部下の脱走を恐れ、漁船に沖へ出るよう命じたことである。
奇襲と白兵戦
1825年6月13日、エジプト軍の前衛部隊が奇襲攻撃を仕掛けた。マクリギアニスの記録によれば、ギリシャ軍の哨戒兵たちは持ち場を離れて眠っていたという。敵を察知したマクリギアニスは、50名の部下とともに逆に奇襲を敢行し、敵に大きな混乱をもたらした。
その後、エジプト軍は主力とイブラヒムの到着を待つため停止した。
午後4時30分、イブラヒムは総攻撃を下令。エジプト軍は突撃用の密集隊形を組み、その前面に散兵(アクロボリスタイ)を展開して攻勢に出た。南側では艦砲射撃の支援もあり、マヴロミハリスとハツィミハリスの部隊はエジプト軍の3度の攻撃をすべて撃退した。
しかし中央では、エジプト軍が庭園の一部を占領し、マクリギアニスの部隊はほぼ海岸線まで押し込められた。ここでマクリギアニスは、将校を失えば部下たちは自発的に戦えないことを看破し、エジプト軍の将校を狙撃・排除せよ」と命じた。その通りになると、ギリシャ兵たちは剣を抜いて即座に反撃し、失った陣地を奪回した。
イブラヒムの新たな反撃でギリシャ軍は押し戻されたが、再度の反撃でエジプト軍は一時後退。さらにエジプト軍が攻勢をかけてギリシャ軍を押し返した。この2度目の攻撃の際、マクリギアニスは戦死した部下の遺体を敵に奪われまいと引き戻そうとして、危うく命を落としかけた。
提督の感嘆と決定的な反撃
一方、ドゥ・リニー提督は予想を遥かに上回る粘り強さを見せるギリシャ兵たちに感銘を受け、4名の士官を伴って勇士たちへの酒類を贈った。その間にも、ギリシャ軍は新たな攻撃でエジプト軍を撃退した。この攻撃では、ディミトリオス・イプシランティス率いるプサラ島の戦士とクレタ島の兵たちが際立った活躍を見せている。
この攻撃を撃退した後、マクリギアニスはナフプリオから援軍を受け入れた。まずマケドニア人指揮官ミトロス・リアコプロス率いる50名、続いて少し遅れてカルポス大尉指揮下の正規軍1個中隊60名が到着した。
マクリギアニスは、正規兵たちが空に向けて一斉射撃を行っただけで、実際には戦わなかったと報告している。しかし、正規軍のクリストス・ビザンティオス大尉が著書『ギリシャ正規軍の歴史』で述べたところによれば、カルポスの中隊が舟艇でエジプト軍の背後に上陸して仕掛けた反撃こそが、戦局を決定的にしたようである。
勝利の代償とヤタガンの逸話
マクリギアニスは腕に深手を負い、戦いの最終局面を目の当たりにすることはできなかった。それでも結果は圧倒的な勝利であり、その栄光はギリシャ防衛の魂となり、反撃の先頭に立ち続けたマクリギアニスに属するものであった。
ミロスの勝利はナフプリオと、ひいてはギリシャ革命全体を救った。損害は両軍とも比較的小さかった。エジプト軍は死者50名、負傷者はその倍の約100名。ギリシャ軍は死者7名、負傷者21名であった。
マクリギアニスは負傷のため38日間寝込んだ。医師は腕の切断が必要だと告げたが、切断しようとしたその瞬間、マクリギアニスは枕元のヤタガン(オスマン式の彎刀)をつかんだ。医者は慌てて逃げ去り、腕は無事に済んだという……。