ヨーロッパの歴史

テュンブラの戦い:見事な作戦、「奇妙な」武器、そして驚くべき勝利

テュンブラの戦い:見事な作戦、「奇妙な」武器、そして驚くべき勝利

古代世界で最も重要でありながら、最も知られていない戦いの一つがテュンブラの戦い(紀元前546年)です。この戦いに勝利したペルシア軍は、一挙に小アジア(アナトリア)を手中に収めました。勝利をもたらしたのは、綿密な作戦と「新しい」武器の組み合わせでした。

クロイソスとの対決

アケメネス朝ペルシア初の偉大な王キュロス2世は、姉妹国家であるメディアを破った後、帝国の建設を本格化させました。次なる障害として立ちはだかったのが、リディア王クロイソスです。両国は紀元前547年、プテリアの戦いで激突しましたが、折しも発生した日食の影響もあり、戦いは決着がつかないまま終わりました。

戦闘後、クロイソスは冬の到来により、ここ数か月はペルシアの脅威が去ったと判断して帰国しました。ところがキュロスはその予想を裏切り、大軍を率いて冬季攻勢に出たのです。クセノポンの記録によれば、その兵力はペルシア人、メディア人およびその他の従属民族からなる20万人に達したといいます。

二つの「秘密兵器」

ギリシャの歴史家クセノポンによれば、ペルシア軍の歩兵は12万6千人、残りは騎兵だったとされます。しかしキュロスは、当時最強と謳われたリディアの精鋭騎兵に対抗するため、二つの「秘密兵器」を用意していました。それはラクダ300頭と攻城塔5〜6基。さらに戦車300台も保有していたのです。

一方のクロイソスも、フリギア、カッパドキア、バビロニア、エジプトなどの同盟軍を含む42万人の大軍を集めたと伝えられますが、クセノポンの示すこれらの数字は誇張されていると考えられています。

戦いの経過

敵の数的優位に対抗するため、キュロスは極めて型破りな陣形を採用しました。騎兵・戦車・ラクダを両翼に配置し、歩兵は中央に展開。さらに輸送用のラクダを歩兵の前に跪かせたのです。

キュロスが恐れたのは、名高いリディア突撃騎兵でした。そこで彼が目をつけたのがラクダです。馬は、慣れないラクダの鳴き声や体臭、姿を目にすると怯えて近づこうとしません。まさにこの習性を、ペルシアの王は巧みに利用したのです。

テュンブラの戦い:見事な作戦、「奇妙な」武器、そして驚くべき勝利

一方のクロイソスは、敵の異様な布陣など意に介さず、伝統的な通り歩兵を中央に、騎兵を両翼に配置して戦闘を開始しました。そしてキュロスの読みどおり、リディア騎兵が突撃を仕掛けると、その目の前にはラクダの壁と、攻城塔上からの弓矢の「雨」が待ち受けていたのです。

たちまち混乱に陥ったリディア騎兵の隙を逃さず、キュロスは両翼の騎兵・戦車・ラクダを一斉に投入し、敵騎兵を粉砕しました。

続いてペルシア軍は敵歩兵を包囲し、甚大な損害を与えました。クロイソスの歩兵の多くは降伏し、生き残った者は王とともに首都サルデスへ逃れました。

サルデス陥落と「ソロン、ソロン」

戦いの後、ペルシア軍はサルデスを包囲し、ついに同市を攻略。これによりキュロスはリディア王国のみならず、小アジア全体を征服することとなりました。

ヘロドトスが伝える逸話は有名です。捕虜となったクロイソスを処刑の炎の上に投げ込もうとしたとき、クロイソスは「ソロン、ソロン」と叫んだといいます。

不審に思ったキュロスがその意味を問うと、クロイソスはかつてアテナイの賢者ソロンと会見したときのことを語りました。自らの富と栄華を誇り、「自分こそ世界で最も幸福な人間だ」と信じていた彼に対し、ソロンは「そうとは言い切れない」と諭したのだといいます。そして結局、ソロンの言葉こそ真実であったことが証明されたのです……。