
第336飛行隊最後の「砂漠の鷲」、「最後の飛行」へ
ギリシャ空軍准将(予備役)のバイロン(ノティス)・サハリディスは、1940年代世代の最後の飛行士の一人であり、中東に編成されたギリシャ飛行隊で活躍したベテランパイロットでした。第二次世界大戦では戦闘機パイロットとして北アフリカ、地中海、イタリア、ユーゴスラビア、そして占領下のクレタ島における作戦に参加し、ギリシャ解放の日までハリケーンとスピットファイアを駆り続けた人物です。
アテネに生まれ、空へ
サハリディスは1920年、アテネに生まれました。名門レオンティオ学院で学業を修えた後、1939年9月に第9期生として空軍士官学校(イカロス学校)に入校します。翌1940年10月にグレコ・イタリア戦争が勃発すると、在学2年目のまま、空襲を受けたタトイ基地からアルゴスのオリーブ園へ、さらには防衛の最前線となったクレタ島へと移動しました。そして1941年5月、ドイツ軍によるクレタ島侵攻のさなかに捕虜となります。しかし、クレタ島民の協力を得て脱出に成功し、偽の身分を使って占領下のアテネへ戻りました――とはいえ、そこにとどまったのは長くはありませんでした。
中東への脱出、そして第336飛行隊へ
1942年初頭、彼はエヴィア島のカルキストス湾から船で海を渡り、トルコ、シリアを経由して中東へ脱出します。まずはパレスチナのガザに置かれた英空軍基地に配属されました。ここはギリシャ人航空兵の訓練拠点でした。その後、南アフリカとローデシア(現ジンバブエ)へ送られてパイロット課程を修了し、英空軍(RAF)の作戦指揮下で活動する第336ヘラス戦闘爆撃飛行隊の一員となったのです。
地中海とリビア砂漠の空で
戦闘機パイロットとして、サハリディスは地中海を行き交う連合国輸送船団の護衛任務に就き、北アフリカやクレタ島への作戦にも参加しました。灼熱のリビア砂漠に急造された仮設飛行場からの発進は、並外れた困難を伴うものでした。1944年9月、ヨーロッパ大陸でドイツ軍が崩壊に向かうなか、彼は第336飛行隊とともにイタリア戦線へ移動し、ユーゴスラビア沿岸への攻撃哨戒に出撃します。そして1944年11月14日、ほかの2個ギリシャ飛行隊とともに、ナチス・ドイツの占領から解放されたアテネへ凱旋しました。帰国後まもなく、依然としてミロス島とクレタ島に残存していたドイツ軍に対する航空作戦にも参加しています。
戦後の歩みと晩年の栄誉
彼はまた、1946年から1949年にかけての空軍作戦(ギリシャ内戦期)にも従事しました。戦後は西ドイツの兵器学校や国防大学校で研鑽を積み、空軍内の各種参謀職を歴任します。1967年には、大佐たちが樹立した軍事政権(ギリシャ・ジャンタ)によって、すでに佩用していた准将の階級のまま除隊させられました。それでも2019年11月、国家防衛当局とニコラオス・パナギオトプロス国防大臣は、祖国への多大な貢献を讃え、彼に特別表彰を贈っています。
出典:APE-ME(アテネ・マケドニア通信)