1940年10月28日、イタリアはアルバニアからギリシャへ侵攻しましたが、ギリシャ軍はこれを食い止め、最終的にはアルバニア領内への反撃に成功します。ところが今日でも、「イタリア人は臆病者だった」「ギリシャ軍から逃げ出した」「戦う意志など最初からなかった」「わざと負けてドイツ軍をバルカンに引き込んだのだ」などといった言説が語られることがあります。しかし、そのほとんどは事実とはかけ離れています。仮にこれらが真実だとするなら、アルバニア戦線で命を落とした約1万5千人のギリシャ将兵は、誰にも殺されずに死んだことになってしまいます。
イタリア兵は臆病ではありませんでした。彼らは勇敢に、場合によっては狂信的なほどに戦いました。特にアルピニ(山岳兵)やベルサリエリといった精鋭部隊の抵抗は頑強そのものでした。イタリア軍の敗北の原因は、兵士一人ひとりの勇気ではなく、ファシスト政権の戦略判断の誤り、軍の訓練水準、そしてギリシャ侵攻に向けた道徳的・精神的準備の欠如にこそあったのです。
「ギリシャは簡単に降伏する」という致命的な誤算
ムッソリーニやチアーノをはじめとするファシズムの指導者たちは、「ギリシャは容易な獲物になる」と確信していました。彼らの見立てでは、ギリシャ人は政治的に分裂し、軍事的に無秩序であるため、まともに戦わないだろうというものでした。この楽観論は軍の各階層にも浸透させられました。ところが現実には、ギリシャ国民はイタリアの侵攻を歓迎するどころか一丸となって立ち向かい、ギリシャ軍もまた、無秩序どころか高度に組織されていたのです。
情報戦で圧倒していたギリシャ
当時のメタクサス政権は、国内外に優れた諜報網を築いており、多くの情報をつかんでいました。例えばギリシャの情報機関は、イタリアによるアルバニア占領が差し迫っていることを、イギリスもフランスも疑いすら抱く前に察知していたのです。ギリシャはこの情報をイギリス側に伝えましたが、イギリスは事態の翌日になってようやく事実を知るほどの出遅れぶりでした。
さらに、数百件に及ぶイタリアの挑発行為に対してギリシャ政府があえて低姿勢を貫いたことも、イタリア側を深く油断させました。「ギリシャは抵抗しない」という幻想こそが、イタリアの判断を狂わせたのです。
手薄な戦力での開戦
こうした慢心から、イタリアは本来投入可能な兵力よりはるかに少ない戦力で攻撃に踏み切りました。アルバニア全土に配置されたのはわずか9個師団。しかもその半分にあたる約4個師団は、西マケドニアおよびユーゴスラビア国境方面の防衛に回され、ギリシャ正面へ振り向けられた兵力は極めて限られていました。
イタリア軍首脳部が見落とした三つの要因
イタリア軍の指導部は、ドイツ軍の電撃戦(ブリッツクリーク)の教訓をそのままギリシャに応用できると考えていました。しかし、そこには三つの重大な要素が考慮されていなかったのです。
第一に、ギリシャ国土、とりわけエピロス地方の険しい山地。第二に、ギリシャ第一線部隊による周到な備えと、陣地の優れた組織化。
そして第三に、ギリシャ軍の抜群の士気です。これは「正義のための戦い」であったことだけが理由ではありません。当時のギリシャ軍は実によく訓練され、何より経験豊富な将校団を擁していたのです。
戦場を知り尽くしたギリシャの将校たち
中佐以上の将校はほぼ全員が少なくとも一度は実戦を経験しており、上級将校の中には五つの戦争をくぐり抜けた者さえいました(第一次・第二次バルカン戦争、第一次世界大戦、ウクライナ遠征、小アジア遠征)。対照的に、イタリア兵の一部にはスペイン内戦の従軍経験者がいたものの、目立った戦果を挙げられず、エチオピア戦争では相手を制圧するために毒ガスまで動員する有様でした。
将校団の質におけるこの決定的な差は、見落とされがちですが、ギリシャの勝利を左右した主要因の一つです。第二次世界大戦の交戦国の中でも、ギリシャ軍は将校の戦死比率が際立って高いことで知られています。それは偶然ではありません。
兵士と苦難を共にした指揮官たち
当時のギリシャ将校は、後方から命令を下すだけの存在ではありませんでした。少尉から将官に至るまで、彼らは常に兵士の近くに身を置き、その苦労を分かち合い、多くの場合、共に戦死していったのです。
「特殊な弾薬」の謎――訓練が生んだ士気
1940年のギリシャ兵は、訓練の面でも相手を凌駕していました。イタリアのプラーシカ将軍は、ギリシャ軍迫撃砲の命中率に驚嘆し、「ギリシャ軍は特殊な弾薬を使っているに違いない」と述べたといわれます。もちろん、そんなものは使われていません。徹底的に訓練された兵士たちが、手持ちの武器の性能を最大限に引き出していたにすぎません。ドイツの古参兵さえ戦慄したというギリシャ砲兵の正確な射撃も、同じ理由によるものでした。
祖国と同じく貧しかったギリシャ軍には、無駄のできる余裕などありませんでした。一発一発の弾丸、一発ごとの砲弾が、確実にその役割を果たさねばならなかったのです。それを可能にするのは教育と訓練のほかにありません。さらに、厳しい訓練は高い士気を育む触媒となります。よく鍛えられた兵士は自らの能力を熟知し、絶対的な自信を抱いているからです。
勇気を超えた自己犠牲の精神
加えてギリシャ兵には、数千年の歴史を通じて培われた資質がありました。防御における粘り強さ、攻撃における卓越さ、そして勇気にとどまらない、計り知れない自己犠牲と思いやり の精神です。こうした美点を、経験豊かな指導層はよく理解しており、最大限に引き出し、発揮させました。それこそが、あの歴史的な偉業を成し遂げた原動力なのです。
イタリア軍を震撼させた光景
これらすべてが、イタリアの指導部と将兵を驚愕させました。戦車、圧倒的な砲兵火力、何百機もの航空機を前に、敵が潰走すると信じていた彼らの目に飛び込んできたのは、毛布で戦車の視界を塞ぎながら突進し、銃火を意に介さず、小銃でさえ航空機に向けて射撃する敵兵の姿だったのです。
あるイタリア人将校の記録によれば、イタリア兵たちは「槍を武器に、叫び声を上げて突撃してくる悪魔たち」を目撃し、衝撃は頂点に達しました。イタリアの新聞やファシスト政権の要人たちは、「もはや戦争は槍や剣ではなく、戦車や重砲で行われるのだ」と喧伝していました。しかしギリシャ人は、その「新しい形の槍」である騎兵の槍も、騎兵の剣も、決して価値を失っていないことを、戦場で証明してみせたのです。
(著者:パンテリス・D・カリカス)