1759年のケベック征服とは
1759年のケベック征服は、イギリス軍がフランス領カナダの首都ケベック市を攻略し、北米大陸における英仏両国の覇権争いに決定的な転換点をもたらした歴史的出来事です。この征服の鍵となったのが、同年9月13日にケベック郊外で行われた「アブラハム平原の戦い」でした。
背景:百年に及ぶ英仏の対立
18世紀半ばまでに、フランスとイギリスは1世紀以上にわたり北米大陸の支配権をめぐって競合してきました。1754年には「フレンチ・インディアン戦争」と呼ばれる北米での紛争が勃発し、やがてこの対立はヨーロッパ諸国を巻き込む世界規模の戦争、すなわち七年戦争へと拡大していきます。
北米はこの戦争の最重要戦域の一つであり、貿易と輸送の生命線であったセントローレンス川およびその支流域の支配権をめぐり、英仏両軍が激しく攻防を繰り広げていました。
ケベック包囲戦
1759年6月、チャールズ・サンダース提督率いるイギリス艦隊がセントローレンス川に到着し、フランス領カナダの首都ケベック市の包囲を開始しました。ジェームズ・ウルフ将軍の指揮するイギリス軍に対し、ルイ・ジョゼフ・ド・モンカルム将軍率いるフランス守備隊がこれに立ち向かいました。
当初、ウルフ軍は市の防塁への攻撃に失敗が続きました。そこでウルフは大胆な作戦を立案します。それは、セントローレンス川沿いの断崖を登り、市の西側に広がる高地「アブラハム平原」からケベックを奇襲するというものでした。9月12日夜から13日にかけて、ウルフとその部下たちは断壁の登攀に成功し、フランス軍を奇襲することに成功したのです。
続いて行われたアブラハム平原の会戦でイギリス軍はフランス軍を撃破しましたが、この戦いでは両軍の指揮官であるウルフとモンカルムが相次いで戦死するという悲劇も生まれました。それでもケベック市の陥落により、イギリスはセントローレンス川の支配権と、カナダ制圧への鍵を手に入れたのです。
戦いの帰結と歴史的意義
ケベックの陥落は、フレンチ・インディアン戦争ひいては七年戦争全体における重大な転換点となりました。戦争自体はさらに3年間続きましたが、ケベックにおけるイギリスの勝利は、イギリスによるカナダ征服、そして最終的に北米のフランス領土がイギリスへ移管される道筋を開くものとなりました。
1763年に調印されたパリ条約は七年戦争を正式に終結させ、カナダをはじめとする北米の旧フランス領土に対するイギリスの支配を確定させました。ケベック征服は北米の政治的地図を一変させ、カナダがイギリス植民地として発展していく基盤を築いた、極めて重要な歴史的事件といえます。