アウステルリッツの戦い――「三帝会戦」と呼ばれた決戦
1805年12月2日に戦われたアウステルリッツの戦いは、「三帝会戦」の名でも広く知られています。この戦いは、ナポレオン・ボナパルト(ナポレオン1世)が生涯で収めた最も決定的な勝利の一つとして、軍事史に燦然と輝く戦例です。
両軍の戦力と指揮官
ナポレオン1世は、約7万3,000人のフランス軍および同盟国軍を自ら直接指揮しました。一方、これに対抗したのは、オーストリア皇帝フランツ2世とロシア皇帝アレクサンドル1世が率いる露墺連合軍でした。
連合軍の総司令官には、皇帝アレクサンドル1世の寵臣であるミハイル・クトゥーゾフ将軍が就いていました。しかし実際には、両皇帝自身が作戦判断に深く関与したため、指揮系統は必ずしも一元化されていなかったとされています。この指揮上の混乱が、後の連合軍の敗北につながったとの見方も少なくありません。
この戦いが歴史に残したもの
アウステルリッツでの圧倒的な勝利により、ナポレオンは第三次対仏大同盟を実質的に崩壊へと追い込みました。オーストリアはまもなく講和を余儀なくされ、ヨーロッパの政治地図は大きく塗り替えられることになります。
兵力で劣勢にありながら、敵の弱点を突いて見事な勝利を収めたこの戦いは、ナポレオンの戦術的天才性を象徴する戦例として、後世の軍人や研究者たちによって今なお研究され続けています。「アウステルリッツはナポレオンの勝利だったのか?」という問いに対しては、その圧倒的な結果をもって、多くの歴史家が「疑いようのない勝利」と答えることでしょう。