ヨーロッパの歴史

第二次世界大戦中のスウェーデン――中立国はユダヤ人をどう守ったのか?

第二次世界大戦中、スウェーデン政府は中立政策を堅持し、連合国側にも枢軸国側にも加わらない立場を公式に貫きました。そのため、スウェーデン本土が戦火に直接巻き込まれることはありませんでした。しかし「参戦しなかった」ことは「何もしなかった」という意味ではありません。スウェーデンは戦前・戦中を通じて、ナチス・ドイツやオーストリアから逃れてきたユダヤ人難民を受け入れ、北欧における重要な避難先となっていったのです。

戦前から続いたユダヤ人難民の受け入れ

ナチス政権による迫害が激化する1930年代後半以降、スウェーデンはドイツやオーストリアから逃れたユダヤ人難民を段階的に受け入れました。戦前・戦中に同国が受け入れたユダヤ系難民は約2,000人にのぼり、その大多数は戦後もスウェーデンに定住し、新たな生活を築くことができました。当初は入国制限も厳しかったものの、ヨーロッパ情勢の悪化とともに、スウェーデンの受け入れ姿勢は次第に明確なものになっていきます。

「セントルイス号」事件が示したもの

1939年、ユダヤ人乗客900人以上を乗せた客船「セントルイス号」がアメリカ合衆国に入港を拒否され、やむなくヨーロッパへ引き返さざるを得なくなった出来事は、当時の各国の難民政策の厳しさを象徴する悲劇として知られています。こうした国際的な閉鎖性の中で、他の国から門前払いを受けた難民たちにとって、スウェーデンは数少ない希望の受け皿となりました。この事件は、後にスウェーデンが果たすことになる人道支援の役割の重要性を、いっそう際立たせることとなります。

転機となった1943年――デンマーク系ユダヤ人の救出

スウェーデンの役割が最も顕著になったのは1943年10月です。デンマーク在住のユダヤ人逮捕計画が事前に漏洩すると、デンマーク国民の協力のもと、約7,000人のユダヤ人が漁船などでバルト海を渡り、一挙にスウェーデンへ避難しました。スウェーデン政府は彼らをほぼ全員受け入れ、亡命者に庇護を与える方針を明確に打ち出しました。隣国ノルウェーからも多くのユダヤ人がスウェーデンへ逃れ、命をつなぎとめています。

子どもたちへの保護と教育

さらにスウェーデンは、戦争の脅威から守るために親元を離れて送り出されたユダヤ人の子どもたちにも、安住の場を提供しました。これらの子どもたちはスウェーデン人の家庭に預けられたり、児童養護施設で暮らしたりしながら、スウェーデン語を学び、現地の学校に通うことが許されました。戦火を免れた北欧の穏やかな環境の中で、子どもたちは失いかけていた日常と将来への希望を取り戻していったのです。

おわりに

公式には最後まで中立を守り抜いたスウェーデンでしたが、その国土はヨーロッパ各地から逃れたユダヤ人にとってかけがえのない安全地帯となりました。外交官ラウル・ワレンバーグによるハンガリーのユダヤ人救済活動や、赤十字を通じた収容所からの囚人移送作戦「白いバス」など、終戦前後の人道的取り組みと併せて見れば、中立国スウェーデンが第二次世界大戦期のユダヤ人の歴史において特別な位置を占めていることがわかります。