恐怖政治の終結——テルミドール9日のクーデター
「恐怖政治(テロル)」として知られるフランス革命の急進期は、1794年7月27日(フランス共和暦テルミドール9日)に終わりを迎えました。この日、公安委員会の実質的指導者であったマクシミリアン・ロベスピエールが失脚し、最も近い側近たちとともにギロチンによって処刑されたのです。ロベスピエールの転落と恐怖政治の終結は、フランス革命がより穏健な段階へと移行する大きな転換点となりました。
恐怖政治を終わらせた5つの重要な出来事
1. 世論の反発の高まり
恐怖政治が激化するにつれ、世論は次第にロベスピエールと公安委員会に反発するようになりました。過剰な暴力の行使、恣意的な逮捕、大規模な処刑は、フランス国民の間に広範な恐怖と怨嗟の念を生み出していたのです。
2. 国民公会内部の対立
国民公会の内部でも、ロベスピエールの圧倒的な影響力と、ますます強まる独裁的傾向に対する不満が高まっていました。穏健派の多くの議員たちは、自らの立場がロベスピエールの権力によって脅かされていると感じ、彼を革命そのものへの危険な存在とみなすようになりました。
3. テルミドール派連合の結成
こうした中、「テルミドール派」と呼ばれる政治勢力、国民公会の中央派閥である「平原派」、さらには一部の元ジャコバン派からなる連合が結成され、ロベスピエールに対抗しました。彼らは、恐怖政治を終わらせフランスに安定をもたらす唯一の方法は、ロベスピエールを権力の座から引きずり下ろすことだと確信していたのです。
4. 運命の演説——テルミドール8日
1794年7月26日(テルミドール8日)、ロベスピエールは国民公会で熱弁を振るい、批判者たちを糾弾するとともに、革命の敵に対する警戒の継続を訴えました。しかし、この演説は公会議員の多くから敵意をもって受け止められ、むしろ彼の傲慢さと個人的な権力への渇望の表れであると見なされてしまいました。
5. クーデターの決行——テルミドール9日
翌日の1794年7月27日(テルミドール9日)、テルミドール派はついにロベスピエールに対するクーデターを決行しました。彼らはロベスピエールとその支持者たちの逮捕に成功し、国民公会へと連行します。ロベスピエールとその一派は法の保護外(アウトロー)と宣言され、裁判を受けることなくギロチンへと送られたのです。
テルミドール反動への道
ロベスピエールの処刑と恐怖政治の終結は、フランス革命における重大な分水嶺となりました。これにより「テルミドール反動」と呼ばれる新たな時代が幕を開けます。この時期には、それまでの数年間にわたる急進的な政策や過剰な暴力が抑制され、より安定した統治体制の構築が目指されることになったのです。