当初は「中立政策」を選んだアメリカ
1939年9月にヨーロッパで第二次世界大戦が勃発した直後、アメリカは徹底した中立政策を貫く道を選びました。
中立政策の背景には何があったのか
アメリカが開戦当初、参戦を避けた理由にはいくつかの要因がありました。
第一に、第一次世界大戦への介入をめぐる反省から生まれた強い孤立主義(アイソレーショニズム)の世論が国内に根付いていたことです。多くの国民は「再び欧州の戦争に関わるべきではない」と考えていました。また、1929年以降の世界恐慌による深刻な経済的打撃から立ち直りつつある最中であり、国民生活の安定を優先したいという事情もありました。さらに、「アメリカが戦争に巻き込まれずにいることが、結果的に世界のためになる」という考え方も広く支持されていました。
こうした背景のもと、議会は1930年代を通じて武器禁輸などを掲げる一連の中立法(Neutrality Acts)を成立させ、交戦国への関与を法的にも制限していました。
連合国側へと傾いていく支援の拡大
しかし、ナチス・ドイツによるフランス占領やイギリスへの攻撃が激化するにつれ、アメリカの姿勢は次第に変化していきます。
1941年3月にはレンドリース法(武器貸与法)が成立し、アメリカはイギリスやソ連などの連合国に対して、武器・艦船・物資を「貸与」という形で大規模な援助を開始しました。これにより、アメリカは事実上の「民主主義国家の兵器廠(arsenal of democracy)」としての役割を担うことになります。
同時に、アメリカ海軍は大西洋において連合国の輸送船団を護衛するための哨戒活動を本格化させ、ドイツのUボート(潜水艦)との間で実質的な衝突も発生するようになりました。
真珠湾攻撃による正式な参戦
転機となったのは、1941年12月7日の日本軍による真珠湾攻撃です。ハワイの真珠湾にある米太平洋艦隊が奇襲を受けたことを受け、翌8日にルーズベルト大統領は対日宣戦布告を決定しました。さらに、ドイツとイタリアも対米宣戦したことで、アメリカは完全に連合国側として第二次世界大戦に正式参戦することとなったのです。
このようにアメリカは、中立という立場から出発しながらも、段階的に連合国への支援を深め、最終的には戦争の帰趨を左右する大きな存在として参戦していきました。