結論から言えば、スターリングラードにおいてドイツの勝利は存在しません。1942年7月から1943年2月まで約半年にわたって続いたスターリングラードの戦いは、ソ連軍の決定的な勝利に終わり、現在では第二次世界大戦における最重要の転換点の一つとして広く認識されています。
スターリングラード攻防戦の経過
1942年夏、ナチス・ドイツは東部戦線での夏季攻勢(ブラウ作戦)の一環として、ヴォルガ川沿いの工業都市スターリングラードの占領を目指しました。同市は工業生産の拠点であるだけでなく、その名がソ連の指導者スターリンに由来していたため、両陣営にとって象徴的な意味を持つ土地でもありました。
以降、市街地を舞台とした凄惨な消耗戦が数か月間続き、一建物、一階段を巡る白兵戦が繰り返され、両軍ともに甚大な犠牲を払いました。
しかし1942年11月、ソ連軍は「ウラヌス作戦」を発動。スターリングラード周辺を防衛していたルーマニア軍などの脆弱な防衛線を突破し、市内に突入していたドイツ第6軍を完全に包囲しました。補給を断たれた包囲網内の独軍は飢えと寒さの中で急速に疲弊し、1943年2月2日、パウルス元帥率いる第6軍はついに降伏しました。
なぜ「大戦の転換点」なのか
この戦いでドイツ軍は、精鋭として名高い第6軍を中核とする数十万人規模の兵力と、取り返しのつかないほどの装備・将校層を失いました。東部戦線における戦略的主導権はこの時点で完全にソ連側へ移り、以降のドイツ軍はクルスクの戦いなどを経て終始守勢に追い込まれていくことになります。
スターリングラードの戦いは、一地域の攻防にとどまらず、第二次世界大戦全体の帰趨を左右した歴史的な分水嶺でした。したがって、「スターリングラードでのドイツの勝利」という前提そのものが誤りであり、現実には正反対に、この戦いはナチス・ドイツにとって致命的な敗北の始まりとなったのです。