はじめに
アメリカ南北戦争(1861年〜1865年)は、北部の連邦政府(北軍・ユニオン)と南部の分離独立勢力(南軍・コンフェデラシー)との間で繰り広げられた内戦です。開戦直後のサムター要塞の砲撃や第一次ブルランの戦いでは南軍が優位に立ちましたが、北軍は西部戦線を中心に着実に戦果を積み重ね、最終的に戦争に勝利しました。以下では、北軍が勝利した主要な戦いを時系列で解説します。
開戦初期の北軍の勝利
フィリピの戦い(1861年6月3日)
バージニア州(現ウェストバージニア州)フィリピ近郊で行われたこの戦いでは、ベンジャミン・F・ケリー大佐率いる北軍部隊が夜明け前の奇襲を成功させ、不意を突かれた南軍を敗走させました。南北戦争初の本格的な陸上戦闘であり、複数の南軍士官が捕虜となるなど、北軍にとって自信を高める重要な勝利となりました。
リッチマウンテンの戦い(1861年7月11日)
ジョージ・B・マクレラン将軍の指揮する北軍が、ロバート・S・ガーネット将軍率いる南軍を破った戦いです。この勝利により、北軍は戦略上重要なウェストバージニア地域における支配権を確保することに成功しました。
戦局の転換点となった戦い
アンティータムの戦い(シャープスバーグ)(1862年9月17日)
アメリカ史上最も犠牲者の多い単日の戦闘として知られるこの戦いでは、北軍は戦術的には決着をつけられなかったものの、ロバート・E・リー将軍率いる南軍によるメリーランド侵攻を食い止めることに成功しました。この結果を受けてエイブラハム・リンカーン大統領は「奴隷解放宣言」を発布する機会を得ました。
ゲティスバーグの戦い(1863年7月1日〜3日)
南北戦争の転換点とされる決定的な北軍の勝利です。リー将軍による二度目の北部侵攻はここで阻止され、南軍が独立を達成できる可能性は大きく後退しました。
ヴィックスバーグの戦い(1863年5月18日〜7月4日)
ミシシッピ川を見下ろす戦略的要衝ヴィックスバーグをめぐる攻囲戦で、ユリシーズ・S・グラント将軍率いる北軍が勝利しました。この陥落によりミシシッピ川全域が北軍の掌握下に入り、南軍は東西に分断されました。ゲティスバーグの勝利と相まって、南軍の士気に大きな打撃を与えた歴史的な戦いです。
終戦への道
チャタヌーガの戦い(1863年11月23日〜25日)
グラント将軍の総指揮のもと、北軍はブラクストン・ブラッグ将軍率いる南軍を破り、テネシー州の支配権を確立しました。この勝利はジョージア州アトランタ攻略への道を開き、その後の北軍の南下作戦につながっていきました。
アポマトックス・コートハウス(1865年4月9日)
南北戦争最後の主要な戦闘です。追い詰められたリー将軍はグラント将軍に降伏を申し入れ、ここに実質的に戦争は終結しました。他の戦線でも南軍の降伏が相次ぎ、4年間に及ぶ内戦の幕が正式に下ろされました。
まとめ
北軍の勝利は、開戦初期のフィリピやリッチマウンテンといった小規模な戦いから始まり、アンティータム、ゲティスバーグ、ヴィックスバーグといった転換点を経て、最終的なアポマトックスでの降伏へとつながりました。特にグラント将軍の活躍と西部戦線での戦果が、戦争全体の帰趨を決定づけたといえるでしょう。