「ヘンリー・クレイは南北戦争において、アメリカ連合国(南軍)側だったのか、それとも合衆国(北軍)側だったのか?」——この疑問に対する答えは、実はどちらでもないというものです。
ヘンリー・クレイ(Henry Clay)は、南北戦争が始まる約9年前の1852年6月29日に亡くなっています。南北戦争が勃発したのは1861年4月であり、クレイが存命だった頃にはまだ戦争は始まっていなかったのです。したがって、彼が南軍にも北軍にも与することはありませんでした。
ヘンリー・クレイとはどんな人物か
ヘンリー・クレイ(1777年〜1852年)は、19世紀前半のアメリカ政治を代表する政治家の一人です。ケンタッキー州選出の上院議員として長年活躍し、下院議長やジョン・クインシー・アダムズ政権下で国務長官も務めました。大統領選挙にも3度立候補しましたが、いずれも惜しくも当選を逃しています。
「偉大なる調停者」の異名を持つ男
クレイは「偉大なる調停者(The Great Compromiser)」として知られていました。1820年のミズーリ妥協や1850年の妥協など、奴隷制問題をめぐって対立を深める北部と南部の橋渡し役を何度も担い、国家分裂の危機を回避しようと尽力しました。
皮肉なことに、クレイの死後わずか数年で南北間の対立は修復不能なまでに悪化し、彼が生涯避けようとした内戦——南北戦争がついに現実のものとなりました。彼自身は、その悲劇的な戦争を目にすることなくこの世を去ったのです。
まとめ
ヘンリー・クレイは南北戦争のどちらの陣営にも属していません。彼は1852年に死去しており、戦争開始(1861年)より先にこの世を去っていたためです。むしろ彼は、南北の対立を妥協によって防ごうとした人物であり、後の時代の論争の文脈で語られるべき存在ではないのです。