1871年、ドイツ帝国建国を主導した宰相
オットー・フォン・ビスマルクが担った最大の責任(役割)は、1871年のドイツ帝国の建設です。彼は皇帝ヴィルヘルム1世およびフリードリヒ3世のもとで初代宰相に就任し、1890年まで約20年にわたり新生ドイツの国政を指導しました。
「鉄血政策」によるドイツ統一
ビスマルクの業績の中心にあるのは、「血と鉄(鉄血政策)」と呼ばれる強硬な外交・軍事路線によってドイツを統一したことです。この方針のもと、彼は三度の戦争に次々と勝利を収め、そのたびに統一への足場を固めていきました。
- 1864年:デンマーク戦争 ― シュレースヴィヒ=ホルシュタイン問題を契機に対決
- 1866年:普墺戦争 ― オーストリアを排除し、北ドイツ連邦を樹立
- 1870〜71年:普仏戦争 ― フランスを破り、ドイツ帝国の成立を実現
世界に先駆けた社会政策と巧みな同盟外交
内政面では、ビスマルクが世界に先駆けて導入した社会保障改革も特筆に値します。健康保険(1883年)、労働者災害保険(1884年)、老齢・障害年金(1889年)といった制度は、労働者の生活を保護すると同時に社会主義運動を抑え込む狙いがありました。
また外交面では、オーストリア=ハンガリー帝国やロシアとの同盟関係を築き上げ、普仏戦争後に復讐を狙うフランスを国際的に孤立させることに成功しました。
失脚後も生き続けた遺産
ビスマルクは、皇帝ヴィルヘルム2世との激しい権力闘争の末、政治の表舞台を去ることとなりました。しかしその後も、彼が築いた外交手腕、対外政策、国家行政、そして社会政策の遺産は色褪せることなく受け継がれ、20世紀に入ってからもなお、ヨーロッパの国際情勢に深い影響を与え続けたのです。