ヴェルサイユ条約がもたらしたヨーロッパの国境変更
1919年に調印されたヴェルサイユ条約は、第一次世界大戦の敗戦国に対して厳しい領土処分を課し、ヨーロッパの地図を大きく塗り替えました。以下では、条約によって変化した主な国境線について詳しく見ていきます。
1. ドイツの領土喪失
アルザス=ロレーヌ地方
1871年以来ドイツ領となっていたアルザス=ロレーヌ地方は、フランスに返還されました。この地域は普仏戦争でドイツ(プロイセン)が獲得したものであり、その返還はフランスにとって長年の悲願でした。
エウペン=マルメディ地方
エウペン=マルメディ地方の東部は、ドイツからベルギーへ移譲されました。
北シュレースヴィヒ
北シュレースヴィヒでは帰属を決めるための住民投票が実施され、その結果、北部はデンマーク領となりました。
ポーゼンと西プロイセン
ポーゼンおよび西プロイセンの一部はポーランドに割譲されました。これにより「ポーランド回廊」が形成され、東プロイセンがドイツ本土から分断されることになりました。
2. オーストリア・ハンガリー帝国の解体
複数の新国家の誕生
かつてのオーストリア・ハンガリー帝国は解体され、オーストリア、ハンガリー、チェコスロバキア、ユーゴスラビアといった新しい国家群が誕生しました。
チェコスロバキア
チェコスロバキアは、ドイツ系住民が多く暮らすズデーテン地方や、旧オーストリア・ハンガリー支配下にあったその他の地域を獲得しました。
ユーゴスラビア
ユーゴスラビアは、セルビア王国とスロベニア人・クロアチア人・セルビア人国家の統合によって成立しました。
3. オスマン帝国の解体
セーブル条約とアルメニア問題
当初提案されたセーブル条約は、オスマン帝国の領土を大幅に縮小し、独立したアルメニアを承認することを目指していました。しかし、トルコ独立戦争の影響により、この条約は最終的に批准されることはありませんでした。
4. ロシア周辺の領土変動
ブレスト=リトフスク条約
ロシアのボリシェヴィキ政権は1918年3月、ドイツとの間でブレスト=リトフスク条約を締結し、東欧における広大な領土をドイツおよびその同盟国に割譲しました。
ポーランド・ソビエト戦争
第一次世界大戦後、新たに成立したポーランド第二共和国は、ソビエトロシアとの間でポーランド・ソビエト戦争(1919年〜1921年)を戦いました。この戦争の結果締結されたリガ条約により、ポーランドの東部国境が確定し、ウクライナやベラルーシの一部地域を獲得しました。
5. その他の領土調整
ダンツィヒ自由市
ダンツィヒ(現在のポーランド・グダニスク)は、国際連盟の保護下にある自由市となりました。
フィウーメ自由市
フィウーメ(現在のクロアチア・リエカ)も自由市となりましたが、1924年にイタリアによって併合されました。
ザールラント
ザールラント地方は15年間、国際連盟の管理下に置かれ、その後の住民投票によって将来の地位が決定されることになりました。
まとめ
ヴェルサイユ条約による領土変更は、ドイツの領土縮小とオーストリア・ハンガリー帝国の解体を軸として、ヨーロッパ全体の政治地図を根本から作り変えました。これらの決定は民族自決の理念に基づく部分もある一方で、多くの不満や対立を残し、後の第二次世界大戦につながる要因の一つともなりました。