ヨーロッパの歴史

ドイツを4つの占領地域に分割すると決めた会議は?ヤルタ会談とポツダム会談の歴史

第二次世界大戦後のドイツを4つの占領地域に分割する構想は、主にヤルタ会談とポツダム会談という2つの連合国首脳会議で協議され、正式に決定されました。

ヤルタ会談(1945年2月)

1945年2月、クリミア半島のヤルタにて、アメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、ソ連のスターリン書記長による「ビッグ・スリー」の会談が開催されました。この場で、敗戦が目前に迫っていたドイツを、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連の4か国による占領地域に分割することが合意されました。

ポツダム会談(1945年7月〜8月)

ドイツの降伏後、同年7月から8月にかけてベルリン近郊のポツダムで、トルーマン米大統領、チャーチル英首相(途中からアトリー首相)、スターリン書記長が再び会談しました。ここで占領統治の方針や具体的な仕組みが確定し、ドイツは実際に4つの占領地域へと分割されることになりました。

4つの占領地域の区分

・アメリカ:バイエルンなど南中部
・イギリス:ハンブルクなどを含む北西部
・フランス:ラインラントなど南西部
・ソ連:ザクセンなど東部

なお、ソ連占領地域の奥深くに位置する首都ベルリンも、同様に4か国の管理区域に分割されました。

一時的な措置だったはずの分割が、東西分裂へ

当初、4か国による分割統治は恒久的なものではなく、ドイツを一体的に管理するための一時的な措置として位置づけられていました。しかし、戦後の冷戦激化により米ソの対立が深まると、占領体制は維持できなくなります。1949年にはソ連占領地域がドイツ民主共和国(東ドイツ)として、残る3か国の占領地域がドイツ連邦共和国(西ドイツ)として建国され、ドイツは40年以上にわたり東西に分断される運命をたどりました。

その後、冷戦終結の流れの中で1990年10月に東西ドイツは再統一を果たし、半世紀近くに及ぶ分断の時代にようやく幕が下ろされたのです。