ヨーロッパの歴史

ソ連はギリシャ内戦でギリシャを味方につけたかったのか?――誤解されやすい冷戦史の実像

結論から言うと:前提に誤解がある

「ソ連は内戦中のギリシャを味方につけたかった」という問いには、実は重要な誤解が含まれています。ソ連はギリシャという国家そのものを同盟国に引き入れようとしたわけではありません。むしろソ連が支援したのは、ギリシャ国内で武装闘争を展開していたギリシャ共産党(KKE)でした。

一方、ギリシャ政府側はアメリカ合衆国とイギリスから軍事・経済支援を受けていました。つまりギリシャ内戦は、「西側陣営が支える政府」と「ソ連圏が支援する共産勢力」が対峙する、冷戦初期の代理戦争の一つだったのです。

ギリシャ内戦(1946年〜1949年)とはどんな戦いか

ギリシャ内戦は、第二次世界大戦中のドイツ占領下で育ったレジスタンス勢力の対立が発端となり、1946年から1949年まで続きました。王党派・保守系の政府軍と、ギリシャ共産党が率いる民主軍(DSE)が全国各地で衝突し、多数の死者と避難民を生んだ、戦後ヨーロッパで最も激しい内戦の一つとなりました。

ソ連の支援は「限定的」だった

興味深いことに、スターリン率いるソ連による共産党側への支援は、必ずしも大規模なものではありませんでした。1944年にスターリンとチャーチルの間で交わされたいわゆる「パーセンテージ協定」では、ギリシャはイギリスの影響圏とすることが暗黙の了解となっていたためです。

このためソ連はギリシャ共産党への武器供与や資金援助を控えめにし、代わりに隣国ユーゴスラビア(チトー政権)が主な後ろ盾となりました。しかし1948年のチトー=スターリン決裂以降、ユーゴスラビア経由の支援も途絶え、共産党側は急速に追い詰められていきます。

アメリカの介入と「トルーマン・ドクトリン」

一方、政府側を支えたのがアメリカです。1947年、トルーマン大統領は「共産主義の拡大を食い止めるため、自由な諸民族を支援する」という声明(トルーマン・ドクトリン)を発表し、ギリシャとトルコへの大規模な軍事・経済援助を開始しました。これにより政府軍は圧倒的な物量で共産勢力を上回り、1949年に内戦は終結しました。

まとめ

ソ連は「ギリシャ国家を味方につけたかった」のではなく、ギリシャ国内の共産勢力であるギリシャ共産党を通じて影響力の確保を狙っていました。ただし東欧との関係を優先したスターリンの消極的な姿勢もあり、支援は限定的でした。結果としてギリシャは西側陣営に残り、後にNATOに加盟したことは、冷戦構造を考えるうえで象徴的な出来事といえます。