ヨーロッパの歴史

なぜトルーマンはポツダム会談でソ連に怒りを覚えたのか?その真相に迫る

ポツダム会談の概要

1945年7月17日から8月2日にかけて、ドイツ・ポツダムのツィツィリエンホーフ宮殿で開催されたポツダム会談は、第二次世界大戦後の世界秩序を形作る重要な舞台となりました。アメリカのトルーマン大統領、ソ連のスターリン書記長、イギリスのチャーチル首相が一堂に会しましたが、会談半ばの7月28日には、イギリス総選挙で労働党が勝利したことを受け、チャーチルに代わってクレメント・アトリー新首相が出席するという異例の展開もありました。

ソ連との意見衝突

会談全体としては比較的穏やかな雰囲気の中で進行しましたが、ソ連側との間にはいくつかの対立点がありました。とりわけ、ポーランドの国境線確定をめぐる協議では、ソ連の強硬な姿勢に対し、トルーマン大統領は強い苛立ちを覚えたと伝えられています。オーデル・ナイセ線を巡る駆け引きは容易に妥結せず、米ソ間の温度差が次第に表面化していきました。

会談を終えたトルーマンの本音

それでもトルーマンは、会談を「おおむね満足できる結果」と受け止め、帰国の途につきました。しかしその一方で、かつての同盟国であるソ連との緊張関係を緩和するには十分ではなかったという懸念も胸に抱いていたといいます。こうしたわだかまりは、やがて訪れる冷戦時代の序章を予感させるものであり、ポツダム会談が単なる戦後処理の場にとどまらなかったことを物語っています。