「ブカレスト条約」という名称は、ルーマニアの首都ブカレストで調印された複数の平和条約を指す総称です。時代によって締結国も背景もまったく異なり、それぞれがヨーロッパ史の転換点となりました。本記事では、歴史上の主なブカレスト条約を時系列順にわかりやすく解説します。
ブカレスト条約(1681年)
ロシア・ツァーリ国とオスマン帝国の間で締結された条約で、1676年から1681年にかけて続いた露土戦争を終結させました。
ブカレスト条約(1718年)
オーストリア(ハプスブルク君主国)とオスマン帝国の間で結ばれた講和条約で、1716年から1718年の墺土戦争を終わらせました。オーストリアはバナト地方やセルビア北部など広大な領土を獲得し、バルカン半島における勢力を大きく拡大しました。
ブカレスト条約(1772年)
ロシアとオスマン帝国の間で締結された条約で、1768年から1774年に及んだ露土戦争の終結に関わるものです。両国の対立はその後も続き、戦争は最終的に1774年のキュチュク・カイナルジ条約によって正式に幕を閉じました。
ブカレスト条約(1812年)
ロシア帝国とオスマン帝国の間で締結され、1806年から1812年の露土戦争を終結させました。この条約により、ロシアはベッサラビア(現在のモルドバ周辺)を獲得し、ドナウ川下流域への影響力を強めることになりました。
ブカレスト条約(1913年)
第二次バルカン戦争の講和条約として、ルーマニア、セルビア、ギリシャ、モンテネグロとブルガリアの間で締結されました。敗北したブルガリアはマケドニアの大部分や南ドブロジャなど広範な領土を失い、バルカン半島の勢力図は大きく塗り替えられました。
ブカレスト条約(1918年)
第一次世界大戦中、ドイツやオーストリア=ハンガリーなど中央同盟国とルーマニアの間で結ばれた講和条約です。ルーマニアは領土割譲などを余儀なくされる厳しい内容でしたが、連合国側が勝利したことで翌1919年に破棄されました。
まとめ
同じ「ブカレスト条約」という名前でも、17世紀から20世紀にかけて全く異なる文脈で結ばれています。歴史書や資料を読む際には、必ず年代と締結国を確認することが重要です。