ヨーロッパの歴史

ラ・サールは何を成し遂げたのか?北米を探検したフランス人探検家の足跡

ルネ・ロベール・カヴァリエ、シュール・ド・ラ・サール(René-Robert Cavelier, Sieur de La Salle、1643年〜1687年)は、フランスの探検家にして植民者です。北米五大湖地域における一連の探検と、ミシシッピ川流域の踏査によって広く知られています。彼の活動は、17世紀後半のフランスによる北米進出の基盤を築いたと評価されています。

ラ・サールの主な功績

  • 五大湖地域を縦断的に探検し、ヨーロッパ人の地理的知識を大きく拡大した。
  • ミシシッピ川を五大湖からメキシコ湾まで遡行・下航した最初のヨーロッパ人探検隊を率いた。
  • 1682年、ミシシッピ川河口域に達し、流域一帯を「ルイジアナ」と名付けてフランス領であることを宣言した。
  • その探検を通じて、フランスを北米における主要な植民地勢力として確立する道を開いた。

年表で見るラ・サールの探検の歩み

  • 1666年〜1667年:ヌーベルフランス(現在のカナダ)へ渡り、セントローレンス川沿いで土地を取得。先住民の話から西に大きな河川があることを知り、探検への関心を深める。
  • 1669年〜1670年:五大湖方面へ向かい、オンタリオ湖やエリー湖周辺の調査を行う。
  • 1671年〜1672年:ミシシッピ川水系に関心を寄せ、イリノイ川流域などを探索する。
  • 1673年〜1675年:一時フランスへ帰国し、王室の支援を受けてミシシッピ川探検計画を立案する。
  • 1679年〜1682年:船「グリフォン号」を建造するなどして準備を整え、五大湖からミシシッピ川を下り、1682年にメキシコ湾へ到達。流域を「ルイジアナ」と命名し、フランス王ルイ14世に捧げた。
  • 1684年〜1687年:メキシコ湾岸からの植民地建設を目指す第二次遠征を率いるが、航海の誤りや困難の連鎖により計画は挫折。1687年、テキサス地方で部下の手により命を落とした。

ラ・サールの探検が残した歴史的意義

ラ・サールの探検が重要視される理由はいくつかあります。第一に、ミシシッピ川流域という広大な内陸部への道を開き、以降のヨーロッパ人による探検と交易の発展につながったことです。第二に、その成果はフランスによる北米内陸部の領有主張の根拠となり、フランスを北米の主要勢力の一つへと押し上げました。

さらに、彼が描いた内陸水路網の存在は、後のアメリカ中西部やメキシコ湾岸への入植と開発の伏線ともなりました。最期は悲劇的なものではありましたが、ラ・サールの挑戦は北米大陸の地理的認識を一段と前進させ、大陸の歴史に確かな足跡を刻んだのです。