ヨーロッパの歴史

シャルルマーニュの父は「小ピピン」だった?その生涯と功績を解説

はい、シャルルマーニュ(カール大帝)の父親は、確かに「小ピピン」として知られるピピン3世です。ピピンはフランク王国におけるカロリング朝初代の王であり、751年から768年にかけて統治しました。そして彼の後を継いだのが、ヨーロッパ史上最も強力で影響力のある支配者の一人となる息子シャルルマーニュです。

小ピピンとはどんな人物?

ピピン3世は、それまでフランク王国を支配してきたメロヴィング朝の最後の王キルデリク3世を退位させ、ローマ教皇の承認を得たうえで王位に就きました。この出来事により、実権を握っていた宮宰(マイヨール・ドゥ・パレ)の家系であるカロリング朝が正式な王朝として成立することになります。754年には教皇ステファヌス2世によって自らの手で王として油注ぎされ、王権の宗教的正統性を強化しました。

「背の低い」という呼び名の由来

「小ピピン(Pepin le Bref)」という通称は「背の低いペピン」を意味しますが、実際に身長が低かったことを示す確かな記録があるわけではなく、その由来については諸説あります。兄弟や同時代の人物と区別するための呼び名だったとも言われています。

息子シャルルマーニュへの継承

768年にピピンが死去すると、王国は慣例に従い息子たちに分割されましたが、弟カールマンの早世後、シャルルマーニュが単独の支配者となりました。彼は800年にローマ教皇レオ3世によって西ローマ皇帝として戴冠され、広大な領土を統治する偉大な帝国を築き上げたのです。こうしたシャルルマーニュの成功の基盤を築いたのが、父ピピンの政治的・軍事的な功績でした。