ヨーロッパの歴史

イギリス・フランス・オランダの探検家たちは、どのようにしてアジアへの到達を計画したのか?

大航海時代、イギリス、フランス、オランダの探検家たちは、それぞれ異なる航路と戦略をもってアジアを目指しました。ポルトガルやスペインが先行する中、後発の三国は独自のルート開拓に挑んだのです。

1. イギリスの探検家たち ― 北西航路の追求

北西航路: イギリスは主に、北極海を通って太平洋へ抜ける「北西航路」の発見に注力しました。この航路が実現すれば、ポルトガルが支配するアフリカ周辺の海域を回避し、直接アジアへ到達できると考えられていました。

ジョン・カボット: イングランド王室に雇われたイタリア出身の探検家ジョン・カボットは、北西航路の探索を繰り返し試みました。1497年には北米大陸に到達しますが、彼自身はそこをアジアだと信じていたといわれています。

マーティン・フロビッシャー: 16世紀半ばには、マーティン・フロビッシャーが北西航路を求める遠征を率い、現在のカナダにあたる土地をイングランド領として宣言しました。

2. フランスの探検家たち ― セントローレンス川の探索

セントローレンス川: フランスは、北米のセントローレンス川がアジアへの入り口となる水路ではないかと考え、その探索に力を注ぎました。

ジャック・カルティエ: ジャック・カルティエは1534年から1542年にかけて3度カナダへ航海し、セントローレンス湾とセントローレンス川を調査しながら、アジアにつながる航路を探し続けました。

サミュエル・ド・シャンプラン: その後、サミュエル・ド・シャンプランは1608年にケベックに恒久的なフランス人入植地を築き、北米内陸部の探検をさらに進めました。

3. オランダの探検家たち ― 喜望峰経由の実利路線

喜望峰: イギリスやフランスとは異なり、オランダは当初から、アフリカ南端の喜望峰を回るポルトガルの航路を利用してアジアへ向かう現実的な戦略を選びました。

オランダ東インド会社(VOC): 1602年、オランダは世界初の株式会社の一つであるVOC(オランダ東インド会社)を設立し、アジア貿易の独占を狙いました。資金調達とリスク分散の仕組みとして、商業史上きわめて重要な存在です。

インドネシア: オランダは東南アジア、とりわけ現在のインドネシアに交易拠点と植民地を次々と築き、最終的には莫大な利益を生む香辛料貿易をほぼ掌握するに至りました。

まとめ

ヨーロッパ諸国の探検家たちにとっての究極の目標はアジアへの到達でした。しかし、当時の航海技術の限界や地理的な複雑さゆえに、初期の計画と探検の多くは、結果として南北アメリカ大陸の各地へと彼らを導くことになったのです。