結論:フェリペ2世はプロテスタントを「守る」どころか、その最大の敵だった
結論から言えば、スペイン王フェリペ2世(在位1556年〜1598年)が、プロテスタントをヨーロッパやオスマン帝国の敵から守ることを自らの義務だと信じていたことはありません。むしろ彼は熱心なカトリック信徒であり、プロテスタントをカトリック教会とスペイン帝国に対する重大な脅威とみなし、その抑圧に生涯を捧げた君主でした。
敬虔なカトリック王としての信念
フェリペ2世は、王は神の意志を地上で執行する存在であるという考えを強く抱いており、カトリック信仰の擁護こそが自分の使命であると確信していました。彼にとって宗教改革によって生まれたプロテスタント諸派は、教会の統一を揺るがす異端であり、断固として排除すべき対象でした。
スペイン国内およびヨーロッパでのプロテスタント弾圧
国内では異端審問所(インクイジシオン)を活用し、プロテスタント思想の浸透を徹底的に防ぎました。ネーデルラント(現在のオランダ・ベルギー地域)ではカルヴァン派の勢力拡大を武力で鎮圧しようとし、この政策が八十年戦争(1568年〜1648年)の発端となりました。さらに1588年には、プロテスタント国家となったイングランドのエリザベス1世政権に対して無敵艦隊(アルマダ)を派遣するなど、ヨーロッパ各地でカトリックの防衛と拡張に尽力しました。
オスマン帝国への対応
オスマン帝国に対しては、1571年のレパントの海戦において、ローマ教皇やヴェネツィア共和国とともに「神聖同盟」を結成し、イスラム勢力の地中海進出を阻止しようとしました。つまり彼にとって、プロテスタントもオスマン帝国も、いずれもカトリック世界に対立する敵だったのです。
まとめ
フェリペ2世にとっての義務とは、プロテスタントを保護することではなく、カトリック信仰を守り貫くことにほかなりませんでした。彼の宗教政策は対抗宗教改革(カウンター・リフォメーション)の中核をなし、「太陽の沈まぬ帝国」の支配者として、信仰と政治を不可分のものとして捉えていたのです。