スターリングラードの戦い(1942年7月17日〜1943年2月2日)において、ソ連軍の戦死者は100万人を超えると推定されています。この数字には、戦闘による直接の死者だけでなく、負傷後に死亡した兵士や行方不明者、捕虜として死亡した人々も含まれます。
人類史上最も血なまぐさい戦いの一つ
スターリングラードの戦いは、第二次世界大戦における東部戦線の転換点となった決定的な戦闘であり、同時に人類史上最も多くの犠牲者を出した戦いの一つとして知られています。市街地を舞台とした激しい攻防戦では、一軒一軒の建物をめぐる白兵戦が繰り広げられ、「ラチエフ・ハウス」など特定の建物を巡る争奪戦は数週間にわたって続きました。
両軍の犠牲者数
ソ連側の損害に加え、ドイツ国防軍およびその同盟国(ルーマニア軍、イタリア軍、ハンガリー軍など)の側でも約80万人以上の死傷者が出たとされています。両軍合わせた総犠牲者数は約200万人に達するとも言われ、その規模は歴史上類を見ないものです。
戦いの帰結と歴史的意義
1942年11月、ソ連軍は「ウラヌス作戦」を発動し、スターリングラード周辺の枢軸国軍を包囲。補給を断たれたドイツ第6軍は飢餓と極寒の中で壊滅状態に陥り、1943年2月2日、フリードリヒ・パウルス元帥率いる残存部隊が降伏しました。
この勝利により、ナチス・ドイツの東方への進撃は完全に阻止され、以後、ソ連軍は反攻へと転じることになります。スターリングラードの戦いは、第二次世界大戦全体の趨勢を決定づけた転換点として、今日も世界中で記憶されています。