「強制収容所はイギリス人によって発見された」という認識は、正確ではありません。第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの強制収容所を「発見」し、その実態を世界に知らしめたのは、アメリカ合衆国、イギリス、ソビエト連邦などを含む連合国軍(Allied forces)全体でした。
東西から進軍した連合国軍
1944年から1945年にかけて、連合国軍は東西両方面からナチス・ドイツ領内へ進軍しました。この過程で、各地に存在した強制収容所が次々と解放されていきます。
ソビエト軍による解放
東部から進んだソビエト赤軍は、1945年1月にポーランドのアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を解放しました。ここで彼らが目にしたのは、大量虐殺の証拠と、生き残ったわずかな収容者たちでした。
イギリス軍による解放
西部では、1945年4月にイギリス軍がドイツ北部のベルゲン=ベルゼン強制収容所を解放しました。栄養失調やチフスで極限状態にあった収容者たちの惨状は、従軍記者や撮影班によって記録され、世界中に衝撃を与えました。
アメリカ軍による解放
アメリカ軍もまた、ダッハウ(1945年4月)やブーヘンヴァルト(1945年4月)など、ドイツ国内の主要な収容所を解放しています。アイゼンハワー将軍は、後世への証明のために現場を積極的に記録・報道させるよう指示したことで知られています。
まとめ
つまり、強制収容所の存在と惨状が明らかになったのは、特定の一カ国であるイギリスの功績ではなく、多国籍の連合国軍による共同の行動の結果でした。それぞれの軍が異なる収容所を解放し、ホロコーストという悲劇の全貌を歴史に刻んだのです。