ヨーロッパの歴史

フランス革命の第三段階「総裁政府」とは?成立から崩壊までをわかりやすく解説

総裁政府とは

総裁政府(ディレクトワール)は、フランス革命における第三段階にあたる政権で、恐怖政治の終焉からナポレオン・ボナパルトによる統領政府の樹立までの期間(1795年11月~1799年11月)を指します。公安委員会が倒された1795年10月26日(共和暦4年ブリュメール4日)以降、フランスを統治したのは、5人の総裁からなる執行機関でした。この体制は共和暦3年憲法によって設立されたものです。

総裁政府の主要な出来事

共和暦3年憲法の制定

1795年8月22日に採択された共和暦3年憲法により、総裁政府が正式に発足しました。総裁政府は5人の総裁で構成され、五百人会が提案した候補者リストの中から、元老会が総裁を選出する仕組みでした。行政権は総裁政府が握り、立法権は元老会と五百人会が担うという権力分立的な構造が取られていました。

王党派とジャコバン派からの対立

総裁政府は、左右両翼からの反対に直面しました。王党派は君主制の復活を望み、一方のジャコバン派は革命の継続を求めたのです。1795年には王党派がヴァンデ地方で蜂起しましたが、総裁政府によって鎮圧されています。また、ジャコバン派は総裁政府に対する陰謀を企てたとして告発され、逮捕・処刑される者も現れました。

解決できない経済問題

革命によってフランス経済は疲弊し、総裁政府には景気を立て直す有効な手だてがありませんでした。財政難も深刻で、軍人や政府職員への給与支払いすらままならない状況が続きました。

ナポレオンによるクーデター

イタリア遠征での勝利によって国民的人気を高めていた将軍ナポレオン・ボナパルトは、1799年11月9日(ブリュメール18日)にクーデターを起こし、総裁政府を打倒しました。その後、ナポレオンは統領政府を樹立します。これは過渡的な政権であり、やがて第一帝政の成立へとつながっていきました。

まとめ

総裁政府の時代は、フランスにとって大きな混乱の時期でした。経済的・政治的な問題に加え、王党派と革命派の対立によって国内は分裂状態にありました。こうした課題を解決できなかった総裁政府は、最終的にナポレオン・ボナパルトによって倒されることとなったのです。