ヨーロッパの歴史

ベルサイユ条約の軍備制限に違反したのはどの国?兵力数の変遷を解説

第一次世界大戦後に締結されたベルサイユ条約は、敗戦国となったドイツに対して厳しい軍備制限を課しました。この記事では、条約が定めた兵力上限と、それをどのように破られたのかについて解説します。

ベルサイユ条約が定めたドイツの兵力上限

1919年に調印されたベルサイユ条約では、ドイツ陸軍の規模は最大10万人までと定められました。さらに、以下のような厳格な制限も設けられました。

  • 徴兵制度の禁止(志願兵のみで構成)
  • 戦車・重砲・毒ガス兵器の保有禁止
  • 空軍の保有禁止
  • 海軍は艦艇1万トン以下、潜水艦の保有禁止

条約違反への道:ナチス・ドイツの再軍備

1933年に政権を握ったヒトラー率いるナチス党は、ベルサイユ条約の打破を掲げました。1935年には徴兵制度を復活させ、国防軍(ヴァイマル)の規模を大幅に拡大しました。

違反後の兵力数の推移

  • 1935年: 正規軍約30万人、翌年には50万人規模へ拡大
  • 1938年: オーストリア併合時点で約80万人
  • 1939年: 第二次世界大戦開戦時には総兵力約450万人以上に達したとされます

まとめ

ベルサイユ条約が許容したのはわずか10万人でしたが、ナチス・ドイツは1935年以降、条約を公然と無視して軍備を拡張し、開戦時にはその数十倍の兵力を擁するまでになりました。この条約違反こそが、第二次世界大戦へ至る重要な転換点の一つとされています。