ヨーロッパの歴史

労働騎士団を率い、ボイコットと交渉による「賃金奴隷」の廃止を目指した人物は?——テレンス・V・パウダリー

労働騎士団(Knights of Labor)を率い、ボイコットや団体交渉の奨励を通じて「賃金奴隷」と呼ばれた搾取的な賃金労働の終結を目指した人物は、テレンス・V・パウダリー(Terence V. Powderly)です。

テレンス・V・パウダリーとは

テレンス・ヴィンセント・パウダリー(1849年〜1924年)は、アメリカ合衆国の労働運動指導者であり、1879年から1893年までの14年間にわたり、労働騎士団の最高指導者である「ゼネラル・マスター・ワークマン(総師)」の職を務めました。

ペンシルベニア州カーボンデールにアイルランド系移民の家庭に生まれた彼は、機関士として鉄道で働きながら労働組合活動に参加し、その指導力が認められて若くして労働騎士団の頂点に立つことになりました。

ストライキよりも交渉とボイコットを重視した指導方針

パウダリーの特徴的な点は、当時一般的だった大規模なストライキよりも、ボイコット(不買運動)や雇用主との仲裁・交渉といった穏健な手段を通じて労働条件の改善を目指したことにあります。

彼は労働者の最終的な理想として、賃金労働そのものからの脱却、すなわち労働者が自らの生産手段を所有する協同組合社会の実現を掲げていました。その過渡期の戦術として、暴力を伴わないボイコットや交渉こそが有効だと考えたのです。

労働騎士団の発展と衰退

パウダリーの指導のもと、労働騎士団は急速に勢力を拡大し、1880年代半ばには会員数が70万人を超える、当時アメリカ最大級の労働団体へと成長しました。黒人労働者や女性労働者にも門戸を開いた点も、この組織の先進性として特筆されます。

しかし、1886年のヘイマーケット事件(シカゴでの爆弾事件)の影響で急進的な労働運動への世論が硬化すると、労働騎士団は急激に衰退していきます。パウダリー自身も秘密主義的な組織運営や指導手法への批判を受け、1893年に辞任しました。

後年の足跡

労働運動を離れた後、パウダリーは1897年から1902年まで連邦政府の移民局長官(U.S. Commissioner-General of Immigration)を務めるなど、公職でも活躍しました。穏健な改革路線を掲げた彼の思想は、後のアメリカ労働運動、とりわけアメリカ労働総同盟(AFL)のサミュエル・ゴンパーズらの方向性にも影響を与えたと評価されています。