ヨーロッパの歴史

北軍のロバート・アンダーソン少佐と南軍のP.G.T.ボーリガード将軍の意外な関係とは?

南北戦争開戦の舞台となったサムター要塞攻防戦において、北軍と南軍の指揮官として対峙したロバート・アンダーソンとP.G.T.ボーリガード。実は二人は、単なる敵同士ではなく、深い縁で結ばれた間柄でした。

ウェストポイント陸軍士官学校での師弟関係

両者ともに、ニューヨーク州にある合衆国陸軍士官学校(ウェストポイント)の卒業生です。アンダーソンは1825年に卒業し、後に同校で砲術の教官を務めました。一方のボーリガードは1838年の卒業ですが、在学中にアンダーソンから砲術の指導を受けており、二人は「師弟」という特別な関係にありました。

米墨戦争での共闘

1846年から始まった米墨戦争では、二人は同じ合衆国軍の一員として戦場に立ちました。この戦争で得た実戦経験は、両者のその後の軍人としてのキャリアに大きな影響を与えることになります。

サムター要塞での悲劇的な対決

1861年4月、南部諸州の連邦離脱により国内の緊張が最高潮に達する中、サウスカロライナ州サムター要塞の守備を任されていたのがアンダーソン少佐でした。そして、この要塞を包囲する南軍の指揮官に任命されたのが、かつての教え子であるボーリガード将軍だったのです。

4月12日、南軍による砲撃が開始され、ここに南北戦争が勃発しました。34時間に及ぶ砲撃の末、アンダーソンは要塞の明け渡しを受け入れました。なお、ボーリガードはかつての恩師に対して最大限の配慮を見せたと伝えられており、降伏したアンダーソン一行は名誉ある撤退を許されています。

まとめ

アンダーソンとボーリガードは、ウェストポイントで結ばれた師弟であり、米墨戦争では同志として戦った仲でした。しかし、国家の分裂という時代の波に翻弄され、南北戦争の幕開けとなるサムター要塞で敵として対峙することになったのです。個人的な絆と国家への忠誠心が交錯する、南北戦争史における象徴的なエピソードと言えるでしょう。