ヨーロッパの歴史

古代ローマ帝国の東西の首都はどこ?コンスタンティノープルとローマの歴史を解説

古代ローマ帝国は、その長い歴史の中で東西に分裂し、それぞれが独自の首都を持つようになりました。では、東と西の首都の名前は何だったのでしょうか。

東の首都:コンスタンティノープル

ローマ帝国の東の首都はコンスタンティノープル(Constantinople)でした。現在のトルコのイスタンブールにあたるこの都市は、330年に皇帝コンスタンティヌス1世によって建設され、「新ローマ」とも呼ばれました。

ボスポラス海峡に面した戦略的な立地により、コンスタンティノープルは東西交易の要衝として繁栄しました。395年の帝国の東西分裂後は、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の首都として、1453年にオスマン帝国に征服されるまで約1000年間栄え続けました。

オスマン帝国による征服後もこの都市は重要な役割を果たし、1930年に正式にイスタンブール(Istanbul)へと改称されました。つまり、コンスタンティノープルとイスタンブールは、同じ都市の異なる時代における呼び名なのです。

西の首都:ローマ

一方、西の首都は言うまでもなくローマ(Roma)です。伝説によると紀元前753年に建国されたとされるこの都市は、ローマ王国、ローマ共和国、そしてローマ帝国を通じて、地中海世界の中心として君臨してきました。

285年、皇帝ディオクレティアヌスが帝国を東西に分割統治すると、西方の政治的中心地は次第にミラノやラヴェンナへ移る時期もありましたが、ローマは終始「永遠の都」として帝国の象徴であり続けました。

まとめ

  • 東の首都:コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)
  • 西の首都:ローマ

東西の首都はそれぞれ異なる運命をたどりましたが、どちらも世界史において計り知れない影響力を持つ偉大な都市でした。コンスタンティノープルはイスタンブールとして現代でもトルコ最大の都市として賑わい、ローマは今なおイタリアの首都として、古代の遺産を世界中の人々に伝えています。