いいえ、ピルグリム(巡礼者)たちは新世界へ出発する前にオーストリアに滞在していません。彼らはイングランドから出航し、大西洋を渡って直接アメリカ大陸へと向かいました。
ただし、「ヨーロッパ大陸に一時的に住んだ」という点自体は事実であり、その土地はオーストリアではなくオランダでした。この混同は、オランダ(Holland)との取り違えによるものと考えられます。
ピルグリムたちが暮らしたのはオランダのライデン
1608年頃、イングランド国教会からの分離派(後のピルグリム・ファーザーズ)は、宗教的迫害を避けるためにオランダのライデンへ移住しました。彼らはそこで約12年間暮らし、信仰の自由を享受しました。
しかし、オランダでの生活には不安要素もありました。子どもたちがオランダ文化に同化してしまうこと、そして当時のスペインとの休戦協定が破れ、戦争が再開される恐れがあることなどが、移住を決意する理由となりました。
メイフラワー号による新世界への旅立ち
こうした背景から、彼らは新世界での新生活を目指すことになります。1620年9月、約100名余りの乗客を乗せたメイフラワー号がイングランド南西部のプリマス港を出航しました。
約66日間に及ぶ過酷な航海の末、同年11月に北米へ到着し、現在のマサチューセッツ州プリマスに入植地を築きました。これこそが、アメリカ建国の父祖的存在として語られる「ピルグリム・ファーザーズ」の歴史の出発点です。
まとめ
ピルグリムたちはオーストリアには滞在しておらず、その旅路は「イングランド → オランダ(ライデン)→ イングランド(プリマス)→ 北米」というものでした。「大陸に一時滞在した」という記憶は正しいものの、それはオランダのことであり、オーストリアではありません。