ヨーロッパの歴史

ロシア内戦中、西側諸国はボリシェヴィキを支援したのか?その実態とは

結論:西側諸国はボリシェヴィキを支援しなかった

いいえ、ロシア内戦(1917年〜1923年)中に西側諸国がボリシェヴィキ(赤軍)を支援することはありませんでした。むしろ正反対で、イギリス、フランス、アメリカ、日本などの連合国は軍隊を派遣し、ボリシェヴィキ政権の打倒を目指す白軍側を支援する干渉戦争に踏み切ったのです。

なぜ西側諸国は干渉したのか

西側諸国がボリシェヴィキと敵対した背景には、いくつかの重要な要因がありました。

第一に、1918年3月にソヴィエト・ロシアがドイツとの間でブレスト=リトフスク条約を締結し、第一次世界大戦から離脱したことが挙げられます。これにより東部戦線が崩壊し、ドイツ軍が西部戦線に戦力を集中できるようになったため、連合国にとって大きな打撃となりました。

第二に、ボリシェヴィキによる共産主義革命の波及を恐れたことも大きな理由です。各国の指導者たちは、革命思想が自国や植民地に広がることを警戒していました。

さらに、革命中に接収された連合国の武器や物資の回収、シベリア鉄道の管理といった経済的・戦略的な関心もありました。

具体的な軍事介入の内容

1918年から1920年にかけて、連合国は以下のような介入を行いました。

北ロシア方面: イギリス、フランス、アメリカ軍がムルマンスクとアルハンゲリスクに上陸し、北部での作戦を展開しました。

シベリア方面: 日本は約7万人という最大規模の兵力を派遣し、アメリカやイギリスなどもウラジオストクに軍を上陸させました。日本軍の撤兵は1922年まで続きました。

南ロシア方面: フランスは黒海沿岸のオデッサなどに軍を送り、デニーキン将軍率いる白軍を支援しました。

また、これらの軍事介入に加えて、西側諸国は白軍に対して武器弾薬の供与や資金援助も行い、反ボリシェヴィキ勢力の育成を図りました。

干渉の結果

しかし、こうした西側の介入は最終的に失敗に終わりました。第一次世界大戦直後で各国とも疲弊しており、国内世論の反発も強く、長期にわたる大規模な軍事作戦を維持できなかったのです。一方のボリシェヴィキはトロツキーが組織した赤軍を中心に勢力を固め、1920年代初頭には内戦に勝利し、ソヴィエト政権を確立しました。

この一連の西側諸国による干渉は、後のソ連と西側諸国の関係に深い不信感を残すこととなり、冷戦の遠因の一つとも言われています。