17世紀から18世紀にかけて、オランダは「海洋帝国」と呼ばれるほど世界的な交易ネットワークを築き上げました。その中心となったのが、1602年に設立されたオランダ東インド会社(VOC)と、1621年設立のオランダ西インド会社です。これらの会社は、アジア・アフリカ・アメリカ大陸の各地に交易所(商館)を設置し、香辛料・絹・陶器などの貿易で巨大な富を築きました。
アジアにおける主要な交易所
インドネシア
オランダ交易網の中核となったのがインドネシアです。1619年にジャワ島に建設されたバタヴィア(現在のジャカルタ)は、東インド会社のアジア本部として機能し、「東洋の女王」と称される繁栄を遂げました。モルッカ諸島(香料諸島)では、クローブやナツメグなどの香辛料貿易をほぼ独占しました。
日本
日本では、平戸を経て1641年以降、長崎の出島がオランダ商館の所在地となりました。鎖国時代の日本において、オランダはキリスト教布教を禁じられた代わりに唯一のヨーロッパ貿易相手国として認められ、蘭学の発展など日本の近代化にも大きな影響を与えました。
中国
中国方面では、1624年から1662年にかけて台湾南部に拠点を築き(ゼーランディア城など)、中国産の絹や陶器を日本へ転売する中継貿易で利益を得ました。広州(カントン)でも貿易を試みています。
インド
インドでは、コロマンデル海岸(東海岸)のパリヤカテやナガパッティナム、ベンガル地方のチンスラ(チンシュラー)などに商館を設立し、綿織物を中心とした取引を行いました。これらの綿製品は、東南アジアの香辛料と交換する重要な商品でした。
セイロン(スリランカ)
セイロン島(現在のスリランカ)では、ポルトガル勢力を追い出した後、 cinnamon(シナモン)貿易を掌握しました。コロンボやゴールには要塞化された商館が建設され、その城塞都市は現在ユネスコ世界遺産に登録されています。
アフリカにおける拠点
南アフリカ
1652年、ヤン・ファン・リーベック率いるオランダ人は、喜望峰にケープタウンの中継基地を建設しました。当初はヨーロッパとアジアを結ぶ航路上の補給港でしたが、後に入植地へと発展し、南アフリカの歴史に大きな足跡を残すことになりました。
アメリカ大陸における拠点
北アメリカ
西インド会社は1625年頃、ハドソン川河口にニュー・アムステルダムを建設しました。この植民地「ニューネーデルラント」は、1664年にイギリスに奪われニューヨークと改名されましたが、現在のマンハッタンやウォール街の基礎を築いたのはオランダ人でした。
南アメリカ
南米では、現在のスリナム(旧オランダ領ギアナ)にプランテーション植民地を建設し、砂糖生産を行いました。また一時期はブラジル北東部(ペルナンブコ地方)も支配下に置き、レシフェに首都を置いて砂糖貿易を展開しました。
まとめ
オランダの交易所は、インドネシア・日本・中国・インド・スリランカ・南アフリカ・北アメリカ・南アメリカという地球規模の範囲に及びました。これらの拠点を結ぶ海上ネットワークによって、オランダは17世紀に「オランダ黄金時代」と呼ばれる経済的・文化的繁栄を享受することになったのです。