ヨーロッパの歴史

オスマン帝国が関わった歴史に残る7つの大戦争とは?

はじめに

オスマン帝国(1299年頃〜1922年)は、約600年にわたって中東・バルカン半島・北アフリカを支配した、世界史上最大級の帝国の一つです。その長い歴史の中で、帝国の運命を大きく左右する数々の戦いに参加してきました。本記事では、オスマン帝国の興亡を語るうえで欠かせない代表的な戦闘を7つ紹介します。

1. アンカラの戦い(1402年7月28日)

中央アジアから勃興したティムール(タメルレーン)率いるティムール朝との決戦です。オスマン帝国は壊滅的な敗北を喫し、スルタンのバヤズィト1世が捕虜となるという大打撃を受けました。この敗北により帝国は一時分裂状態に陥り、復活までに10年以上の歳月を要しました。

2. モハーチの戦い(1526年8月29日)

「壮麗王」と呼ばれるスレイマン1世率いるオスマン軍が、ハンガリー王国とその同盟軍を圧倒的に撃破した戦いです。ハンガリー国王ラヨシュ2世が戦死し、王国は事実上崩壊。この勝利により、オスマン帝国の中欧への進出が一気に現実味を帯びることとなりました。

3. ウィーンの戦い(第二次ウィーン包囲、1683年9月12日)

神聖ローマ帝国を中心とするヨーロッパ諸国連合軍(ポーランド・リトアニア共和国のヤン3世ソビエスキの援軍などを含む)に、オスマン帝国が敗北した戦いです。ウィーン攻略に失敗したことは、オスマン帝国によるヨーロッパ拡大の限界点を示す転換点となり、以降の「大トルコ戦争」で帝国は守勢に回ることになります。

4. ポルタヴァの戦いと露土戦争(1709年〜1711年)

ポルタヴァの戦い(1709年7月8日)自体はスウェーデンとロシア帝国の戦いでしたが、敗れたスウェーデン王カール12世がオスマン領へ逃亡したことを機に、オスマン帝国もロシアとの戦争(露土戦争)へと巻き込まれていきました。1710年〜1711年の戦役では、オスマン軍がプルート川の戦いでロシア軍を包囲し、有利な条件で講和を成立させています。

5. ナヴァリノの海戦(1827年10月20日)

ギリシャ独立戦争のさなか、イギリス・フランス・ロシアの三国連合艦隊によって、オスマン帝国およびエジプト艦隊が壊滅的な打撃を受けた海戦です。この敗北はギリシャ独立の流れを決定づけ、オスマン帝国のバルカン半島における支配の後退を象徴する出来事となりました。

6. ガリポリの戦い(1915年4月25日〜1916年1月9日)

第一次世界大戦中、連合軍(イギリス・フランス軍やANZAC部隊など)がダーダネルス海峡とガリポリ半島の制圧を目指して上陸作戦を展開しました。しかしオスマン軍は頑強に抵抗し、最終的に連合軍を撤退へ追い込みます。首都コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)への侵攻を阻止したこの勝利は、後にトルコ共和国を建国するムスタファ・ケマル(アタテュルク)の名声を高める契機にもなりました。

7. メギッドの戦い(1918年9月19日〜25日)

第一次世界大戦のシナイ・パレスチナ戦線における最終決戦です。アレンビー将軍率いるイギリス帝国軍に敗北したオスマン帝国は、パレスチナとシリアを失い、同年10月にはムドロス休戦協定の調印を余儀なくされました。この戦いは、帝国の敗戦と崩壊への道をほぼ確定させたものでした。

まとめ

アンカラでの屈辱的な敗北からモハーチでの栄光、そして第一次世界大戦期のガリポリの勝利とメギッドの敗北まで、これらの戦いはオスマン帝国の盛衰を映し出す鏡と言えます。帝国の歴史を理解するうえで、ぜひ押さえておきたい重要な戦役ばかりです。