アルメニア人虐殺とは何だったのか
アルメニア人虐殺(アルメニア人ジェノサイド)とは、第一次世界大戦中およびその前後にわたり、オスマン帝国政府によって組織的・計画的に実行された、アルメニア人に対する大量殺害と強制移住のことを指します。
この悲劇は、20世紀における最初の大規模な大量虐殺(ジェノサイド)の一つと位置づけられており、推定60万人から150万人ものアルメニア人が犠牲になったとされています。
虐殺を実行したのは誰か
虐殺を実行したのは、当時のオスマン帝国を実際に支配していた「統一と進歩委員会」(青年トルコ党)政権です。同政権の中心人物には、内務大臣タラート・パシャ、陸軍大臣エンヴェル・パシャ、海軍大臣ジェマル・パシャの「三頭政治(三パシャ)」が挙げられます。
彼らは、帝国領内に暮らすキリスト教徒の少数民族であるアルメニア人を、ロシア側と通謀する「内部の敵」とみなし、その排除を決断しました。
虐殺の始まり
1915年4月24日、首都コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)において、アルメニア人の知識人、聖職者、政治家、ジャーナリストらが一斉に逮捕されました。この日以降、虐殺と追放が帝国全土へと拡大していったため、現在も多くの国々がこの日を記念日としています。
どのような手段が用いられたのか
- 強制移住(追放):シリア砂漠方面への長距離徒歩移動を命じられ、食料や水を奪われたまま死に至る者が続出しました。
- 集団処刑:男性たちが村ごとに連れ出され、大量に殺害されました。
- 強制改宗と略奪:女性や子どもはイスラム教への改宗を強制されたり、財産を没収されたりしました。
現在への影響
アルメニアや多数の国際的な歴史学者は、この一連の出来事を「ジェノサイド(民族大量虐殺)」と認定しています。一方、後継国家であるトルコ共和国は公式にこれを認めておらず、この歴史認識問題は今日でもトルコとアルメニア、そして国際社会との間で外交上の重要な争点となっています。