アンシュルス後、チェコスロバキアを取り巻く危機的状況
1938年3月のアンシュルス(ナチス・ドイツによるオーストリア併合)が実現すると、チェコスロバキアは北・西・南の三方向をナチス・ドイツに囲まれることになり、国家の存立そのものが物理的に重大な危険にさらされました。
三方向からの包囲と防衛の困難
当時のドイツは、すでにズデーテン地方などをめぐってチェコスロバキアへの領土要求を強めていました。オーストリアを支配下に置いたことで、ドイツは北・南・西のどの方面からでも侵攻を仕掛けられるようになります。多方面からの同時攻撃に備えることは、国土の規模や軍事力の面でチェコスロバキアにとって極めて困難であり、従来の防衛戦略は大きく崩れることになりました。
ズデーテン地方と「第五列」の脅威
さらに深刻だったのは国内問題です。ズデーテン地方にはドイツ系住民が多数居住しており、アンシュルスの成功に触発される形で、彼らはドイツとの統合を求める運動を活発化させました。これはチェコスロバキア内部に潜む「第五列」(外部の敵に通じる内部勢力)として機能する可能性をはらみ、国家の不安定化を招き、ドイツの侵略への抵抗を一層難しくする要因となりました。
ミュンヘン会談から占領へ
こうした状況の中、1938年9月のミュンヘン会談では、英仏の宥和政策によりズデーテン地方のドイツへの割譲が決定し、チェコスロバキアは重要な国境防衛線を失いました。結局、チェコスロバキアはドイツからの圧力に耐えきれず、1939年3月にドイツ軍の侵攻を受けて占領され、ボヘミア・モラヴィア保護領として解体されることとなります。
この一連の過程において、アンシュルスは決定的な役割を果たしました。オーストリア併合は、チェコスロバキア解体というドイツの計画を実行に移すための地理的・戦略的条件を整え、その実現を格段に容易にしたのです。