ヨーロッパの歴史

ドイツでユダヤ人の状況が悪化したのはいつ?ナチスによる迫害の歴史を年表で解説

ドイツにおいてユダヤ人の状況が悪化し始めたのは、1933年1月30日にアドルフ・ヒトラーが首相に就任した瞬間からです。以降、ナチス政権は法的な差別から財産の没収、そしてついには大量虐殺(ホロコースト)へと、段階的に迫害をエスカレートさせていきました。

この記事では、1933年から1945年までの出来事を年表形式でわかりやすくたどります。

1933年:ナチス政権の誕生と差別の始まり

  • 1月30日 – アドルフ・ヒトラーがドイツ首相に就任。
  • 3月23日 – リヒスクstag(国会)が全権委任法を可決し、ヒトラーに独裁的な権限が与えられる。
  • 4月1日 – ナチスがユダヤ人商店に対するボイコットを実施。
  • 4月7日 – 「職業公務員法」が成立し、ユダヤ人公務員がすべて解職される。
  • 5月10日 – ユダヤ人やその他の「非ドイツ的」な著者の書籍が、ベルリンなどをはじめ各地で焼き払われる。

1935年:ニュルンベルク法の制定

  • 9月15日 – ナチスがニュルンベルク法を公布。「誰がユダヤ人とみなされるか」を法的に定義し、ユダヤ人から市民権と基本的な権利を剥奪した。ユダヤ人と非ユダヤ人の結婚も禁止された。

1938年:「水晶の夜」

  • 11月9日〜10日 – 「水晶の夜(クリスタルナハト)」と呼ばれる反ユダヤ主義暴動が発生。1,000以上のシナゴーグ(ユダヤ教会堂)が破壊され、約7,500のユダヤ人商店が略奪された。さらに約3万人のユダヤ人男性が強制収容所へ送られた。

1939年:第二次世界大戦の勃発

  • 9月1日 – ドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が開始。占領地ではユダヤ人を隔離するためのゲットー設立が進められていった。

1941年:東方への侵攻と絶滅政策への転換

  • 6月22日 – ドイツがソ連に侵攻。これに伴い、特別行動部隊(アインザッツグルッペン)によるユダヤ人の組織的な大量銃殺が東欧で行われるようになった。
  • 12月7日 – 日本軍による真珠湾攻撃を受け、アメリカが参戦。

1942年:「最終的解決」の実行

  • 1月20日 – ヴァンゼー会議が開催され、ナチス指導部が「ユダヤ人問題の最終的解決」、すなわちヨーロッパ・ユダヤ人の組織的な絶滅計画を正式に策定。
  • 7月〜9月 – ワルシャワ・ゲットーのユダヤ人約30万人が、絶滅収容所トレブリンカへ移送された。

1943年:ゲットーの解体

  • 3月 – クラクフ・ゲットーが解体され、住民はプワシュウ強制収容所やアウシュヴィッツへ送られた。
  • 4月19日〜5月16日 – ワルシャワ・ゲットーでユダヤ人による武装蜂起が発生。鎮圧後、残りの住民は絶滅収容所へ移送された。

1944年:ハンガリーからの大量移送と終戦への道

  • 5月〜7月 – ナチスがハンガリー地方のユダヤ人約43万人をアウシュヴィッツ絶滅収容所へ移送。
  • 7月20日 – ヒトラー暗殺未遂事件が起こるが失敗に終わる。
  • 8月1日 – ポーランド市民によるワルシャワ蜂起が開始。

1945年:戦争の終結

  • 1月27日 – ソ連赤軍がアウシュヴィッツ絶滅収容所を解放。生存者たちの惨状が世界に知られることとなった。
  • 4月30日 – ヒトラーがベルリンの地下壕で自殺。
  • 5月8日 – ドイツが降伏し、ヨーロッパでの戦争が終結。

まとめ

ドイツにおけるユダヤ人迫害は、1933年のヒトラー政権誕生とともに始まり、ボイコットや公職追放といった差別政策から出発しました。その後、ニュルンベルク法による権利剥奪、「水晶の夜」での暴力、そして戦争中には絶滅収容所への大量移送へとエスカレートしていきました。この一連の歴史は、差別が法制化されるとどこまで悲惨な結果を招くかを示す教訓として、今日も語り継がれています。