古代の歴史

神になったアスリート――タソス島のテアゲネスの驚異の生涯

エーゲ海北部、トラキア沿岸に近い位置にあるギリシャのタソス島。島の北部には同名の首都タソスの町があり、紀元前680年頃、パロス島からの入植者たちによって築かれました。

この島には、古代で最も名高いアスリートの一人が暮らしていました。その名はタソスのテアゲネス。主にパンクラチオンとボクシングで無類の強さを発揮し、紀元前480年から460年頃にかけて最も大きな栄光を手にします。その生涯は、パウサニアス、ナウクラティスのアテナイオス、サモサタのルキアノス、プルタルコスらの著作を通じて今日に伝えられています。

神ヘラクレスの子と伝わる怪物童

2世紀に著されたパウサニアスの『ギリシア記』最終巻には、タソス島民のあいだに伝わるこんな伝説が記されています。テアゲネスは人間の父ではなく、神々にしばしば見られる奇跡によって、大神ヘラクレス自身の子となったのだというのです。彼がどれほど強靭であったか、そして7世紀もの歳月を経てもなお、島民の記憶にどれほど深く刻まれていたかが、この伝説からもうかがい知れます。

神になったアスリート――タソス島のテアゲネスの驚異の生涯

幼い頃のテアゲネスは、その貪欲な食欲ですでに有名でした。一頭の牛をひとりで平らげてしまうほどで、まるで漫画『アステリックス』のオベリスクのようです(考えてみれば、あのキャラクターはテアゲネスがモデルかもしれません)。少年の大食と怪力は島の人々にとって頭痛の種であり、彼らは解決策として、スポーツを通じてエネルギーを発散させるよう指導するコーチのもとへ彼を預けました。

オリンピアでの栄光と波乱

その工夫は見事に実を結びます。テアゲネスは紀元前484年の第74回オリンピア祭のボクシング競技で優勝しました。決勝で破ったのは、オリンピアで像が発見されていることで知られる名選手エウティモスです。続くパンクラチオンでも頂点に立ちましたが、審判団は前の試合でエウティモスに不当な仕打ちを加えたと判断し、1タラントンの罰金を科して失格としました。この罰金は紀元前480年の第76回オリンピア祭で支払われたと伝えられます。なお別の説では、エウティモスとの激闘で疲労困憊だったにもかかわらずパンクラチオンに出場したこと自体が罰金の理由だったともいわれています。

神になったアスリート――タソス島のテアゲネスの驚異の生涯

輝かしい戦績の数々

その2年前の紀元前486年には、イストミア大祭でボクシングとパンクラチオンの二冠を達成。ピューティア大祭では紀元前482年、478年、474年とボクシングで3度の優勝を果たし、ネメア大祭で9勝、イストミア大祭で合計10勝を記録しました。

さらにパウサニアスによれば、テアゲネスはアキレウスの故郷であるテッサリア地方のプティアにおいて、重競技の巨体の選手としては驚くべき偉業を成し遂げています。それは、汎ギリシャ大会でおなじみの約5,000メートルの長距離走「ドリコス」での優勝でした。

パウサニアスの記録によれば、テアゲネスは生涯で合計1,400回の優勝を積み重ねたといいます。プルタルコスはこれを1,200回としており、しかもそのほとんどは大したことのない小規模な大会でのものだと述べています。しかし何より興味深いのは、彼の名声が死後のある出来事によって、時を超えてさらに広まっていったという点です。

銅像が引き起こした奇跡

タソス島民はテアゲネスの功績を讃え、彼の銅像を建立していました。ところが、かつて一度も彼に勝てなかった古いライバルが、毎晩その像を棒で殴りつけるようになります。そしてある夜、ついに像が崩れ落ち、その下敷きとなった男は命を落としたのです。

神になったアスリート――タソス島のテアゲネスの驚異の生涯

ここで意外な事実が浮かび上がります。当時のタソスには、倒れて人を死なせた物体は、たとえ銅像であろうとすべて海へ投げ込む、という法律があったのです。銅像は裁判にかけられ、有罪の判決を下され、海中へ沈められました。

ところがその直後から、島は不作と干ばつに見舞われるようになります。困り果てた島民がデルフォイの神託に伺いを立てたところ、銅像を引き上げて元の場所に戻すよう指示されました。島民がその通りにすると、干ばつは収まったのです。

こうしてテアゲネスは、癒やしをもたらす神として崇拝されるようになりました。興味深いことに、この銅像の台座はタソスのアゴラ(公共広場)から実際に発見されており、その表面には彼の優勝記録の一覧が刻まれているのです。