ティトゥス・フラウィウス・ヨセフス(本名:ヨセフ・ベン・マティティアフ)は、エルサレム出身のユダヤ系ローマの歴史家です。当初はガリラヤ軍の指揮官としてローマと戦いましたが、紀元67年の降伏後、ウェスパシアヌスからローマ市民権を与えられ、通訳兼顧問として仕えるようになりました。
彼の代表作『ユダヤ古代誌』は、ローマの読者に向けて書かれた一種の世界史です。その中には、紀元前3世紀にスパルタ王アレウス1世(在位:紀元前309年~265年)が、エルサレムの大祭司オニアス1世に宛てて送ったとされる奇妙な手紙が引用されています。
その手紙の中でアレウスは、「スパルタ人は、自分たちがアブラハムの子孫であると記された文書を発見した」と述べているのです。

『マカバイ記』に残るスパルタからの返信
ヨセフスはオニアスの返信については記録しておらず、それ以上の情報も伝えていません。ところが、聖書を構成する書物の一つ『マカバイ記第一』には、およそ1世紀後の紀元前144年頃、別の大祭司から送られた返信が収められています。
これらの書簡が事実なら、スパルタ人はユダヤ人とアラブ人の祖であるアブラハムの子孫であるだけでなく、ミディアン人やエドム人の血をも引いていることになります。これはかなり信じがたい話に思えます。さらに驚くべきことに、『マカバイ記』には、ほぼ同じ文言で友情を再確認するスパルタ側の新たな返信まで記録されているのです。

手紙の真贋をめぐる激しい議論
これらの手紙の真贋については、多くの学者が疑問を呈してきました。ユダヤ人の資料にしか残されていないことを考えれば、それは無理もありません。しかし、同じ数だけの専門家が本物であると見なしています。
真実性を擁護する論者の間では、次のような仮説が有力になっています。すなわち、スパルタ領内に勢力を拡大しつつあるユダヤ人共同体が定住していた(あるいは傭兵として雇われていた)ため、アレウス王がユダヤとの外交関係の樹立を決めた、というものです。
いずれにせよ、ユダヤ人の方からも、あまり接点があるとは思えないスパルタとの関係構築を望んだことは、同様に不思議に映ります。一つの可能性としては、スパルタがローマと同盟関係にあったことから、そうすることでローマを喜ばせられると考えたのかもしれません。
偽作説の根拠
手紙を偽作、つまりユダヤ人の創作だと考える論者は、アレウス王の手紙に使われた言葉に着目します。「あなた方の事を我々自身の事として捉え、我々の事をあなた方と共通のものとする」といった表現を、スパルタ人が使うことは決してなかったでしょう、というのです。
真実性を支持する根拠
一方、手紙が本物だと考える論者は、スパルタ人が言及していた文書は、アブデラのヘカタイオスの記述ではないかと指摘します。それによれば、モーセがエジプトから連れ出したイスラエル人の一部が、彼のもとを離れてギリシャの地へたどり着いたというのです。
ヘカタイオスは紀元前4世紀のギリシャの歴史家・哲学者で、プトレマイオス1世の時代にエジプトを訪れ、『アイギュプティアカ(エジプト誌)』という著作を残しました。この作品からは、エジプトの哲学、祭司、神々、聖域、モーセ、そしてワインに関する6つの断片が現存しており、そこには裸体の賢者(グムノソフィスト)への言及も含まれています。

この作品中のユダヤ人に関する記述は、ギリシャ文学におけるユダヤ人への最初の言及とされ、後にディオドロス・シクルスによって引き継がれました。
ダナイデス伝説との意外な関連
こうした経緯から、この物語をダナイデスの伝説と結び付ける研究者もいます。ダナイデスはアルゴスの神話上の創建者であり、太古の昔にペロポネソス半島に定住したとされます。彼らこそ、聖書の物語の中で不可解に姿を消しているシメオン族の人々ではないか、という見方です。
この手紙のやり取りの歴史全体は、真実であれ偽作であれ、おそらく紀元前2世紀末、『マカバイ記』の成立以前に形作られたと考えられます。以後、それはヘレニズム世界へユダヤ人を統合すると同時に、ギリシャ人を自らの伝統へ取り込む手段として、エリート層の間で流通していったのでしょう。